Meet the Artist
アトリエ訪問記 vol.3 藤本健さん
木が誘う先へ
―作為と不作為のあわいー
沖縄在住の木工作家・藤本健さんが生み出す器は、どこまでも大らかで、自由なエネルギーが満ちている。素材の表情を生かした個性的なフォルムは、まるで木そのものがなりたい姿を叶えたかのよう。野生的でありながら繊細さを併せ持ち、使う度に生き物と対話するような面白さがある。
家具職人から木工作家へ
高校卒業後に上京し、品川にある職業訓練校の木工科に入りました。90年代半ばのちょうど家具ブームで、王道ではありますが、(ハンス J.) ウェグナーやジョージ・ナカシマの作品に惹かれたのが家具職人を志したきっかけです。
鉄鋼科やほかの選択肢もあったのですが、いろいろと触れてみる中で不思議と木と相性が良いのを感じ、 “木を素材につくる”ということに今に至るまで一度も迷いはないですね。
一年間学んだあと、特注家具を製作する東京の家具工場に就職して働いていたところ、妻の仕事の関係で沖縄に引っ越せるチャンスが訪れて、「環境も良さそうだし、いいんじゃない?」くらいの軽い気持ちで2002年に移り住み、それを機に独立ました。当時はまだ子どももいなかったし、身軽でしたね。
―今でこそ人気の高い南城市ですが、移り住んだ頃はどのような感じだったのでしょうか?
最初の5、6年は妻の職場へのアクセスのいい宜野湾に住んでいたんです。そのうちに子どもが生まれ、家を建てたいなと思って土地を探していたときに見つけたのがたまたま今の場所。予算内だったというのが正直な理由で、15年前は「浜辺の茶屋」がポツンとあるくらいでまわりに何もない土地でした。
沖縄本島の南部に位置する南城市。海を臨む小高い丘のふもと、緑豊かな土地に、木工作家・藤本健さんの拠点がある。木造平屋の自宅は、緑豊かな庭に向かって大きく開かれたリビングから縁側がせり出し、内と外とがシームレスにつながる開放感のある造り。その隣には一日の多くの時間を過ごすというアトリエ、そして裏山に沿ってギャラリーが建っているが、驚くことにすべてがセルフビルドだという。
「家くらい自分でつくれるでしょ」くらいの気持ちではじめたのですが大変でした(笑)。宜野湾の家から週2,3日通いながら結果的に1年半くらいはかかったかな。当時は今のようにセルフビルド、DIYの情報がなかったし、素人向けの本なんか1,2冊程度しかありませんでした。ただ、すべて自分でやるからペースもスローで、一つの作業を進めながら次の工程をどうすべきなのか考える時間が十分にあったんです。娘のリクエストなんかも取り入れたりして、大変ではありましたが何とか形になりました。
―その経験は、モノづくりに何か影響を与えましたか?
やっぱり、自分にとっては馴染みの深い木という素材を扱いながら、最初から最後まで自由につくれたことは大きいですね。オーダーの家具だと、性分的なものなのか、自分が試してみたい遊びの部分は押さえて良い塩梅におさめてしまうところがあったんです。
それに家具は1mmのズレも許されない精度を必要とする仕事ですが、建築は多少ズレても許容範囲であることを知ることができました。普段とはスケール感の違うものをつくることは気分転換にもなったし、刺激にもなりましたね。
―家具職人から木工作家への転機はいつ訪れたのでしょうか?
ある時、興味本位で使ってみた木工旋盤が不思議とフィットしたことから、受注家具の制作と並行して器づくりはスタートさせていました。
オーダーを受けて、精度の高さを追求する家具づくりと、形も大きさも自分が決めて自由につくる器づくり。その両方に惹かれる部分があったのですが、いま振り返ると家づくりで自分の好き勝手にプロセスを考えられた経験が、木工作家に重心を置いていく後押しになったかもしれません。
欲を消し、木に委ねる
藤本さんの作品の最大の特徴といえば、木そのものの表情を生かして器を作っていること。一点一点異なる形、色、大きさ。大きく歪んでいたり、中には節があるものも。一般的には木を乾燥させてから成形するところを、水分を含んだ生木のまま仕上がりに近いところまで成形し、それから乾燥させるという独自のスタイルを貫いている。
器づくりを始めた当初は材料屋さんで木を買っていたのですが、厚みのある木の取り扱いがなく、お椀など深さのあるものがつくれないというジレンマがありました。それを解消するために、製材する前の丸太の状態でもらってくるようになったのですが、個体差もあるし、時間をかけて乾燥させてみたところで結局器に合っている木なのか分からないんですよね。それだったら木を削って木目の様子を見ながらもっとタイムリーに何がつくれるかを考えたいと思い、生木のまま成形するようになりました。
約2週間乾かす過程で、水分を多く含んだ柔らかい部分が堅い部分に引っぱられてゆがみや縮みが生じるのですが、僕にはその自分ではコントロールできない部分が面白く感じられたんです。頭や手が生み出す作為な要素、自然が生み出す不作為な要素の境界線やバランスが、毎日作っていても飽きない面白さではあります。
ガジュマルやアカギ、クロヨナなど、沖縄の木を多く使っていることもあって、「沖縄を表現しているのですか?」と聞いていただくこともあるのですが、たまたま手に入る雑木だっただけで、他の地に住んでいたら確実にその土地の雑木を使っていましたね。
―生木のまま成形するというスタイル以外にも、木肌を残した器や、リムをチェーンソーで荒く削ったもの、また漆を塗ったものなどさまざまな表現方法を取り入れていらっしゃいます。どのように素材を見極め、表現を選択しているのですか?
自分の欲を優先するのではなく目の前にある木の個性、魅力を最大限に生かそうと考えた結果、必然的にいろいろな表現が生まれてきた感じですね。たとえば漆をはじめたのも、雑木でも汁物に使える口当たりのいい器をつくりたかったから。とはいえ漆特有の艶感があまり好きではないため、マットな感じに仕上がるように下地を混ぜてみたり…本当、いまある素材のなかでベストな手法を考えるトライ&エラーの毎日なんです。
というのも僕自身が具体的につくりたいものを思い描いたとしてもそれがいつも叶う訳ではなく、すべては木次第なんです。どういう木が手に入るか計画は立てられないし、同じ種類の木だとしても形も大きさも、ダメージの具合もさまざま。生木の塊から最大限削り出せる大きさを考えると、フォルムは自ずと決まってくるものなので、目の前にある木の状態をしっかり捉えて、削る箇所はできるだけ少なくすることに努めている感じです。
―表現方法が進化していく一方、自分のなかで変わらない部分ってありますか?
うーん、あくまで器っていうカテゴリーのなかでモノづくりを続けていることでしょうか。たまに「オブジェも見てみたいです」というお声をいただくこともあるのですが、自分にとっては捉えどころがなさ過ぎてアプローチが分からないですよね。オブジェ的に使えるものもありますが、あくまで器としてちゃんと使える、機能するように仕上げるようにしています。
―アトリエでは毎日どのように過ごされているのですか?
アトリエで作業するのは大体朝の7時から夕方16時まで。朝の2,3時間は漆を塗ったり研いだりという毎日のルーティーンをこなしてから、木を削りはじめます。定番の型もありますが、ほとんどは木の大きさと深さから仕上がりの目処を立てて、削りながら厚みのある方がいいか、薄く仕上げた方がゆがみが出たときに美しい形になるのか作業しながら考えています。1日6個くらい削るのが精一杯ですね。
なんか最近は個人的な欲がない、物欲がない、いろいろな欲がない...(笑)
野球観ながらビール飲むのがリフレッシュっていうくらいで、ちょっと引き篭もり過ぎるなと思います。丸一日休みがあっても、一日休める自信がないな...
お正月も元旦だけ休んで翌日にアトリエに入っていたくらいなので。だから、個展を開催してもらって日本全国のギャラリーに出かけるのが楽しみになっています。ほんと必要に迫られないと動かないタイプなんです。
―最近では「芭蕉の家」など、空間づくりもはじめてらっしゃいます。どのような気持ちの変化によるものですか?
それも僕からではなく、「宿をやりたい」という妻からのリクエストです。いい土地があったらね、と言っていたら見つかってしまって、また建物造りからスタート。自分で話していても思いますが、必要に迫られて始めることばかりですよね(笑)。制限がある中で思考錯誤する過程が糧となり、面白い表現やアイデアを生み出しているのだと思いたいです。
―お話しを伺っていて、唯一無二の作品を生み出す作家でありながら、職人気質なところを強く感じました。
それはあるかもしれません、やっぱり受注家具からスタートしているので。今でも定番の型を作る作業も好きですし、「こんなのが欲しい」みたいな声をいただいたら、できるだけ応えたいという気持ちが根底にはあります。もちろん全部が叶えられるわけではありませんが(笑)、今回の展示にも約200点持っていきますので、ぜひ器を通じてお話しできたら嬉しいです。
文:本間裕子
写真:チダコウイチ
藤本健
1971年、愛知県生まれ。
上京後、20代半ばから家具職人として木工業界に入る。
2002年、東京生活を経て、沖縄に移住。家具や製品をオーダーで制作する。
2011年、木工旋盤を使い器を作り始める。
以後個展等を中心に活動している。
アトリエ訪問記 vol.2 佐藤尚理さん
2回目のアトリエ訪問記は、沖縄で作陶する佐藤尚理さん。
佐藤さんは、シソンギャラリーのこの5年の間に、2回個展を開催していただいている、私たちも大好きな沖縄で作陶する陶芸家だ。
那覇から30分ほどの静な住宅エリアにある広い敷地には、自宅、アトリエ、不定でオープンする小さなギャラリー、と3つの平家建てが緑いっぱいの庭に建っている。なんとも羨ましい環境。
到着早々、真夏の沖縄の太陽から隠れるように、まずはアトリエヘ。
壁一面に作陶する際の道具や試作品などが並び、幾つかある作業台には次の個展用の焼く前の大きな作品が数点、その先には大きな作品を洗うときの洗い場、その奥には窯。
「筆はすぐダメになるから20本くらい毎回買うんですよ。」
と言う佐藤さんは、焼き上がると全く違う色になる焼きものの土の色と絵付けの色や、また土からの成形に始まって、乾燥、絵付け、削り画、素焼き、化粧土、仕上げの釉薬掛け、本焼き、仕上げやすり、などなど、何回にも及ぶ作品作りの工程を細かく教えてくれた。
こうして膨大な手間ひまをかけて完成される作品たちが一堂に並ぶ個展のエネルギー、それをあらためて再確認できたのが嬉しい。
陶芸作品の他にも、最近は絵画作品と、多肉植物好きが高じて始まった自作の鉢を使った鉢植え作品なども精力的に制作している。
「絵はここではなくて家で描いています。あの絵って一気にたくさん描けてしまうんです。色を作ったらわーっと描き、途中で壁に貼って乾かしておいて、また次の日続きを一気に描いていく、という感じで進めてるんです。」
アトリエから庭に出て、自宅前のスペースの鉢植え作品も見せてもらう。
この沖縄の気候ならではの元気すぎる植物たちの育ちぶりもあって、佐藤さんの庭は3年前に訪れた時よりかなりジャングル度が増していた。
そして庭の一角には、沢山の多肉植物や沖縄原産の珍しい植物をはじめ、一見怪獣のようだったり、フォルムがすでに彫刻となっている植物たちがずらりと並んだスペースがあった。
農場から直接仕入れをして、水分量や日差しの加減など手をかけ時間をかけて育て、自作の鉢に植え込んだ形でひとつの作品として完成させるという。
今年のシソンギャラリーでの個展で初めてのお披露目だというこの新作品についての話をしている佐藤さんは、実に楽しそうだった。
(この時点で個展での初展開に多少のドキドキ感もあった我々だったが、十数点あった作品が早々に完売となったのである。)
アトリエ、自宅、そして最後は3棟目のギャラリーへ移動。
3年ほど前に敷地内に増設したという6畳一間ほどのこじんまりしたこの空間には、手作りの飾り棚に過去の作品が少しだけ保存してあった。作品の余剰が出た時だけの不定期でのオープン形態でほとんど開店していないそう。それ以外は展示会前や終了後はほとんど配送などの作業場になっているようで、今回の訪問時もその時期だった。
しかしちょうど運よく、SNSでしかお目にかかることができていなかった奥様のまことさんの陶芸作品を見ることができた。リボンや花などのフォルムに渋めの色付け、そこにびっしりと柄が描かれている人気のブローチや小皿など、佐藤さんの作品世界に通じるものがありながらも違いがはっきりとわかる、また別の魅力ある作品だ。
オーストラリアなど海外での個展も含め、3年後ぐらいまではびっしり個展の予定が入っている人気作家の佐藤さん。次のシソンギャラリーでの個展は3〜4年後となる予定。
まだまた遠いようできっとあっという間に来てしまいそうな2026年辺りを楽しみにしつつ、それまでにまた訪問させていただくことを約束して、アトリエを後にした。
佐藤尚理 プロフィール
1974年生まれ。1996年沖縄へ移住。2000年頃から彫刻家として活動を始める。2008年夏、ドイツのミュンヘン美術大学に研究生として留学。スペイン巡礼の徒歩旅行などドイツを拠点にヨーロッパを巡る。2009年冬、帰国し陶芸家としての活動を開始。2010年春より、沖縄南城市に3ヶ月程かけアトリエを建て、以降そこを拠点に作陶。2012年2月、自身のギャラリー「器 bonoho」をアトリエの敷地にオープン。2013年〜現在、個展やグループ展、イベントなど様々な場で精力的に活動の幅を広げている。
訪問:2022年7月
文:野口アヤ
写真:チダコウイチ
アトリエ訪問記 vol.1 盛永省治さん
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ギャラリーを開始した当初から、個展開催予定の作家さんのアトリエに伺って物作りの現場を見せていただきながらお話を聞かせていただいています。
打ち合わせ(という名目)の個人的にもとても楽しみなアトリエ訪問は、毎回新たな発見があり、楽しく、興味深いものです。
今まではSNSへの投稿のみで形にしていなかったのですが、この秋のギャラリー5周年を機に、ギャラリーの記録のひとつとして“訪問記”という形で残していくことにしました。
今後は個展開催予定の作家さんをはじめ、お世話になったあるいは今後お世話になるかもしれない作家さんのアトリエへ訪問させていただいて、その時の写真と会話なども含め載せていく予定です。
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第1回目は、木工作家の盛永省治さんのアトリエへ。
都内から空港を降りて現れたのは、雄大な、時に荒々しくも豊かな自然が織りなす美しい鹿児島の風景。
盛永さんの工房は、空港から桜島を背に40分ほど郊外に行った街道沿いにあった。5月の個展に向けて作品制作で忙しい真最中の盛永さんだが、快く出迎えてくれた。
平家建ての作業場前に丸太がごろごろと置かれた屋外スペースを有する広々した敷地は、東京では考えられない羨ましい限りの空間。
2月の小春日和の訪問日は、作品置き場となっている南向きのギャラリースペースに、日がさんさんと降り注いでいた。
屋外に置かれた丸太は、鹿児島で採れる楠、山桜、などをはじめ、向かいの木材倉庫から端材になってしまったものを安く譲ってもらっているという。その他、輸入のウォールナット(くるみ)など、日本や世界各地から送ってもらっているものも。あの独特の模様が器の横にでる樫の木の丸太木も見つけられた。
す
S(シソンギャラリー) 「ここはいつ頃から使っていらっしゃるのですか?」
盛永(敬称略) 「もう15年経ちます。独立する前は鹿児島市内の家具の工房で働いていまして、店舗のための家具だとかを作っていました。独立した時は普通に家具も注文で作っていたんですけど、やっているうちにだんだんこういう器ものが自然と増えてきて。で、今もうほとんど家具は作ってないんです。でも、あのスツールは作っています。あの彫刻的なものは、家具っていうよりはオブジェと家具の間のアート作品的なものです。」
S 「じゃあ独立されたのが、ちょうどその15年前で、でその時からここでずっとここでなんですね。」
盛永 「家具を作るような機械がいっぱいあるから、よく聞かれるんですけど、今はほとんど使ってないものなんです。」
元々家具職人だったという盛永さんの工房には、家具を作るための大きな機械も含めて何台もの機械、数えきれないほどの工具があった。盛永作品の中で特に人気のスツールオブジェのルーツが少し垣間見られた気がした。
S 「大きいスツールでどれくらいの期間でつくれるのですか?」
盛永「削るのは一日に三個削れるんですけど、乾燥させるのに時間がかかるんです。ここでは乾燥しきらないので、乾燥の部屋というか窯といかそういう場所がありまして、そこに持って行って70度くらいの温度を決めて、一週間ぐらいずっと乾燥させるんです。1週間乾かしたら引き取ってきて、もう一回また研磨し直したりするんです。結構重たくて、20キロぐらいです。乾燥すると5キロくらい減るんですけど、元は30キロぐらいです。」
S 「ここで木を切って、あっちの機械に移動してセットして。 凄い重労働ですね。これらが向かいの材木屋さんからのものですね。近くないと運ぶのが大変ですね。」
盛永 「そうなんです。形を作るのに一番時間と体力がかかっているのがその作業なんです、実は。」
例えば、50センチくらいの長さの50キロ以上はある極太の丸太から削り出すことのできる作品は1、2点という。ほとんどが木屑になってしまう。工房の床は木屑で覆われ、何袋もの木屑が山積みになっていた。
盛永 「材料は、製材所や材木屋さんで捨てられる丸太の切れ端なども買わせていただいています。最初は高価な材木はまともに買えなかったこともあって、徐々に今の木材との関わり方になってきました。素材のボリュームや木目や木の状態を見ながら何を作るのか考えるので、材料から恩恵を受けながら製作するこのやり方も、継続してやっている意味が出てきているように思っています。」
S 「インスピレーションは木材、ですね。」
盛永 「そうですね。工房から出ている木屑や木端は、ご近所のかたが全部持っていってくれています。木端は薪にしたり、細かい木屑は堆肥にしたり畑に撒いたりするそうです。継続して持っていく方がいるということは、少しは誰かの役に立てているのかもしれません。ここだけはうちの工房で自慢できるところです。」
膨大な木片も実は無駄なく活用されているこの循環も、盛永作品の美しさのひとつだと言える。
S「昨年の千駄ヶ谷のギャラリー(昨年冬開催の店内展示)で置いていたのは、少し小ぶりの彫刻的なものが多かったと思いましたが、あのあたりの作品も人気がありますね。全部もう売れてしまったとか。」
盛永 「はい、全部売れてしまいました。もう作品を作らないとなんです。お売りする物がなくなってしまって。常設や卸をしているところにも全然追いついてなくて。ここ1、2年でイベントが中心になってしまっていて、もうずっとお待たせしている卸のお店がいっぱいいるので、ちょっとずつ解消したいんですが、今後は個展中心の体制にしていきたいというのがあって、なかなか進んでいないのも事実なんです。」
(その後の雑談中に、隣の入居者募集になっていた一軒家も借りてしまって寝泊まりするしかないですね、など冗談まじりに話していたのだが、結果後日契約し、忙しい時は寝泊まりもするようになったそう。とにかく作品作りに追われているという。)
個展に向けては、以前はシソンギャラリーに合う器作品が中心の個展内容かな、とお互い話していたところだったが、この大きな迫力ある作品を作る現場を見せていただいた結果、やはり盛永さんらしいスツールや彫刻など存在感のる大きな作品達を並べた個展の空間にしましょう、ということで個展の方向性もまとまった。
盛永さんの物腰のやさしい雰囲気と、そこから生み出される作品の持つなめらかな曲線、そしてこの少々無骨なアトリエと荒々しい鹿児島の自然背景が、美しいコントラストとなっていた印象的な訪問だった。
5月の個展はオープンの行列から始まり、日々大盛況にて終了となった。
また来年か再来年かをめどに個展開催の予定ではある。新たな進化とともに、次回の訪問もとても楽しみにしている。
盛永省治
1976年鹿児島生まれ。家具メーカーで職人として勤務ののち、
2007年に自身の工房を始める。同時にウッドターニングを独学にて開始。
その後アメリカを代表するアーティスト、アルマ・アレンに師事。
現在はウッドターニングによる作品を主に国内外での個展や合同展を中心に作品を発表している。
http://www.crate-furniture.net/
訪問:2022年2月
(作品展:2022年5月20日〜29日開催)
文:野口アヤ
写真:チダコウイチ