Meet the Artist

2023-06-10 14:39:00

寺井ルイ理/画家 “おもちゃ箱をひっくり返したような”アトリエ"

 

ー“おもちゃ箱をひっくり返したような”アトリエで、モノの価値観もひっくり返しながら遊ぶように創作するー

 

「美しい」「すごい」「ヤバい」「かっこいい」「面白い」―――。

アーティストの作品を観て、それぞれが、それぞれの感想を抱く。

正直に言うと、ルイさんの作品を初めて観た時の感想は「???」だった。

よくわからない。わからないから余計に引き込まれて観入ってしまう。

 

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これ、なんだろう?

わからない。

わかるはずもない。

 

彼はきっと、人がわかるものを作って、わからせようなんて思っていない。

だけど観ているといろんな発見がある。ひとつの作品の幾重にもなったレイヤーが化学反応を起こしている、とさらに引き込まれる。不思議な吸引力だ。

そして創作の風景を想像する。

 

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彼のアトリエは、ごくふつうのマンションの一室。元工場とか元問屋とか、生活感がない場所で描かれていそう、と想像したのに、肩透かしをくらう。

しかし一歩部屋に足を踏み入れると、生活感なんてまるでなかった。それはそうだ、何せアトリエだしね。2DK2室共にキャンバスが並び、無造作(のように見える)に置かれた画材と作品と大きなスピーカー。

外観とのギャップにくらくらして、置いてあるモノ、飾ってあるモノ、全てが気になって視点が定まらない。

「銀座で働く友人が『おもちゃ箱をひっくり返したみたい!』って言ってたよ(笑)。それってさ、すごい褒め言葉じゃない? おもちゃがそこら中にひっくり返ってるんだもん、そんな楽しい状況ないよね。」

と彼は涼やかに笑う。

 

 

大切なことは“上の学年の人”との交流で覚えた

 

アートの道に足を踏み入れたきっかけは、なんと消去法だった。

11歳で渡英し、サフォークにある全寮制の学校で10代を過ごしたルイさんは、ハイスクールへの進学試験のために必要な単位を取る際、“英語が得意じゃなくても評価に影響が少ない科目”として、アートを選んだ。

 

「英語はネイティブの人たちも参加してくるわけだから、多分、あんまり勝ち目がないわけです。テストってパーセンテージ制でしょ? 何人受けてどれぐらいできたのがいて、その中で合格っていうラインを決めるじゃないですか。なるだけ語学力に動かさないのがいいな、って。数学と生物学とアートが語学力は関係ないかなというところで、アートを選んだんです。それで進学後、先生からも『君はアートやった方がいいよ』と言われて。その後、セントマーティンに進学するんですけど、進学先もどこがいいんだろう〜と思って。その頃は今みたいにインターネットもないし、リサーチもアナログだったんだよね。一番有名な学校って理由で、受験したんです。『絶対入れないよ』ってみんなに言われちゃったけど(笑)。そこしか知らないからとりあえず願書を出して、面接に行って。で、後日『合格です』って手紙が来て。こう言っちゃなんだけど、自分ではあまり頑張ったって感じがしないんですよね(笑)」

 

飄々とした口調で朧げな10代の記憶を語ってくれる彼からは確かに“努力”“根性”“ガッツ”というような熱気や泥臭さは感じられない。頑張った、と言うよりも楽しんでいたんじゃないだろうか。

ふわふわ、ゆらゆら、柔らかくしなやか。セントマーティンではどんな交流や出逢いがあったのだろうか。

 

「セントマーティンでは同学年にも友達はいたけど、それよりも上の学年の人たちと話してるほうがよっぽど面白かったです。日本みたいに先輩・後輩っていう概念はないんだけど、彼らの制作スペースにはいろんな人が集まってて、いろんな事を教えてもらったし、その空間が心地よかった。たとえば、当時ジェフ・クーンズがアメリカの雑誌のページを買って、彼自身が笑顔で子豚を抱えてる写真に“Jeff Koons”と書いて自分の広告を打ち出したページを『アートだ』って教えてもらったり。その時は意味がわからなかったですけど(笑)。でも『ウォーホルの次は彼だ』とか、そういうことを教えてくれたのは、先生じゃなくて上の学年の人たちだった。そういう意味ではセントマーティンに行ってよかったと思います」

 

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かつてアンディ・ウォーホルは、広告をテーマに作品を生み出したが、ジェフ・クーンズは広告を打つことをアートにしてしまった。アートは概念である。

広告はアートではないけれど、広告をアートにすることができるように、彼はプロダクトはアートではないけれど、プロダクトをアートにしている。

 

「僕は千利休が好きなんだけど、彼が最初に使っていた茶碗なんて、朝鮮半島の『高麗茶碗』と呼ばれる素朴な感じの、ごく一般的な器だったんですよね。利休は美しさを価値があるもの、としてではない、雑器を茶室に持ち込んで、その無作為な美を評価したことで、価値観に変化が起きた。すごく面白いですよね。僕も陶器の作品を作ったんですよ。廃棄されてる器に取っ手を付けてマグカップにしたものです。萩焼や益子焼、いろいろあって、安ければ安いほどアートにした時、面白いんですよね」

 

そう言ってユニークな形の取っ手を付け、釉薬をかけて焼き直したマグカップを見せてくれた。中にはファミリーレストランで使われているような、ベーシックな形なのに、違和感のあるテクスチャーに仕上げられているものも。

彼のセンスと手間ひまの下にアップサイクルされたマグカップで飲むコーヒーは、その付加価値のせいか冷めていても妙に美味しく感じた。

 

 

相反する組み合わせだからこそ、楽しい

 

価値をアップデートする彼の柔軟性は、セントマーティン卒業後に、ロンドンのセレクトショップでスタッフとして働いていた頃、ちょっとした記録を打ち出した。

1990年代のロンドンは、音楽、映画、ファッション、様々なカルチャーの発信地で世界中が注目する街だった。ルイさんがクロムハーツを身につけて店に立つと、日本人のバイヤーからウケが良く、月に1000万円、多い時は2000万円も売り上げがあった。そこでクロムハーツの社長から「ルイの欲しいものを作るよ!」と話があり、コンバースの金具をクロムハーツにしたものをリクエスト。これが話題を呼び、後々オフィシャルにコンバース×クロムハーツのコラボレーションを実現、今やプレミアムアイテムとなっている。今でこそ様々なブランドがリリースするコラボアイテムの先駆けでもあるのだ。

 

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「当時、鞄などの革製品をクロムハーツに持ち込んで改造していたんですけど、あえて誰もが買えるリーズナブルなコンバースのスニーカーでやるっていうのが面白いな、と思ったんです。ラグジュアリーの究極みたいなものですよね。アメリカ人の感覚だと、オーダーで15万〜20万ぐらいするものにお金を払うわけないだろう、っていう考えだったんですよね。でも、日本人って儚いものが好きじゃないですか。だから絶対流行るなと思った。相反する組み合わせだからこそ、欲しくなっちゃうだろうなっていうのはわかったし、自分も欲しかった。日本人でしかない感覚かもしれないけど、カゲロウや桜の儚さみたいなものに通ずるのかもしれませんね。その頃、クロムハーツで作ってた靴って、ファイヤーマンブーツしかなくて、日本人はそんなの履かないから、余計に刺さったんじゃないかな。カジュアルに着こなせるクロムハーツだ、ってね。そんなわけで日本人だけで50足ぐらいコンバースを持ち込んで改造してくれ、ってオーダーが来て、社長がびっくりしてましたよ(笑)」

 

誰もやっていない事を面白がってやってみる、そのマインドは年を重ねた今も変わらない。いや、むしろ加速しているかもしれない。

一時期、彼のライフワークは「#ファッションブロガー」だった。昨年退任したが、GUCCIのクリエイティブディレクターにアレッサンドロ・ミケーレが着任した2015年はノームコアが主流。ブログなんてやっていないルイさんだが、ミケーレのデコラティブなGUCCIで全身コーディネートした写真に「#ファッションブロガー」とハッシュタグをつけてInstagramに投稿。定期的に発信し続け、シリーズ作品化した。当時の感覚だと一種の皮肉にも思えるかもしれないが、ギリギリのラインを真顔で着こなす絶妙なキッチュさが面白い。

 

「僕は“価値観の定義の問い”や“価値観の昇華”に興味があって。矛盾や、物事の狭間を考える事が好きだなんだと思います。『トレンドって何?』ということについて考える事とか。お洒落が個性とオリジナルなら、“誰も着こなせないようなトリッキーな服”が1番お洒落っていう答えに行き着いた。それまではマルジェラとかを着てたから、GUCCIを着始めた頃、周りはみんなびっくりしてましたね。『え!?』って(笑)。それがある時から『お洒落ですねー』って言われ始めて、インフルエンサーたちがGUCCIを着てるのを見るようになって、日本にもGUCCIの感覚が浸透したんだな、って感じました。僕はあえて合わない色を探している部分もあって。多くの人達は相性の良い色の組み合わせを探すから、不安になると思うんだけど、僕の場合、色が合わない時が最高なんです。だけどまだ合わない色同士に出会った事ありません」

 

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矛盾から広がるめくるめく世界。彼の作品はミスマッチを探る途中で生まれたものなのかもしれない。

6月末に始まるsison galleryでの展示のテーマは「ハイブリッドドリーム」。“夢は時空を超えて見れるか?”だという。

 

「ジェラシックパークのティラノサウルスは6800万年前の夢を見るのか? 本当にもし恐竜が復活したら、何千年万年前の夢を見るのか考えてみたんです。フィリップ・K・ディックのSF小説『アンドロイドは電気羊の夢を見るか?』のタイトルがずーっと好きで、いつも色々な物事をこのタイトルに当てはめて考えてます。現代に復活した恐竜は、現代と何千年前のハイブリッドの夢を見るのか? もしそうなら、夢の絵柄を想像すると楽しい。『アンドロイドは〜』の原題は『Do Androids Dream of Electric Sheep?』なんだけど、好きなのは日本語タイトル。“電気羊”って、電気鰻みたいじゃない? “Electric Sheep”は電気で動く羊だけど“電気羊”は電気を発電してるかもしれない。アンドロイドの羊じゃなくていいわけです。本当は“電力羊”と訳すべきだったんですよね。“電気羊”と訳したことで、イマジネーションの幅ができた。実は元はストレートヘアの羊で、自分の電気でチリチリなのかな、とか(笑)」

 

すっかり話し込んだ帰り道、アトリエがあるマンションから遠くを見ると、一見遊園地のような、ラブホテルのような建物が見えた。それはサイロをピンク色に塗ったセメント工場だった。

住宅街にあるセメント工場、しかもそれがピンク色。

固定概念にとらわれない彼のアトリエの近くに、偶然にもこんな工場があるのが巡り合わせのようで、面白い。

6月の展示では、どんなハイブリッドな夢を見せてくれるのだろう。

 

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文:西村依莉

写真:チダコウイチ

 

寺井ルイ理 

「ハイブリッドドリーム ”夢は時空を超えて見れるか?

2023624日~72日 

13:00 ~ 19:00 (月曜休廊)

 

 

寺井ルイ理 Louis Terai

東京生まれ。11歳より単身渡英。Central St Martins LONDONからWINCHESTER SCHOOL of ART入学後、FINE ART PAINTINGを専攻し卒業。その後展覧会に絵画作品を発表するかたわら、ロンドンを拠点に多数のアパレルブランドに企画、バイヤー(BROWNS)として携わる。30歳で帰国。以降、アブストラクトペインティングを中心に作品を発表、国内外のコレクターに親しまれている。

また伊勢丹新宿本店ウィンドウのジャックや、ルイ・ヴィトン、3.1Philip LimCA4LA、開化堂、中川木工芸、風月堂等の国内外のブランドや企業とのコラボレーションなども展開、絵画制作だけにとどまらず、様々なディスプレイデザインやブランドプロダクトディレクションも手掛けている。

https://instagram.com/louisterai

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