Meet the Artist

2026-09-20 17:03:00

めいめつ MICHI NAKANO 中野道/写真家、映像作家、音楽家

JD・サリンジャー『ライ麦畑でつかまえて』の世界に憧れた少年は、アメリカ南部ノースカロライナ州で生まれ、長野県松本市で育った。小さなカメラで野山の虫を撮り、DJの真似をしてカセットテープにラジオ番組を吹き込んだ。小学校、中学校、高校と、なんとなく学校に馴染めない自分を感じてもいた。大学時代、アメリカの、全寮制の小さな学校に留学して人気者になり、役者として舞台に立った。学校は、バスでニューヨークまで行ける、そんな場所にあった。

 かなり端折って書いてはいるが、これだけ読むとどこかホールデン・コールフィールドのようでもある。もちろん彼はドロップアウトしていないし、「まいったね(It kills me)」が口癖というわけではないけれど。

 写真家、中野道さんに話を聞いた。

 

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<松本、野山で遊ぶ少年>

 

「子供の頃、育った松本は自然がたっぷりで、虫を見たり採ったりするのが大好きでした。雑誌の付録で手に入れた、マクロレンズで撮れるピンホールカメラがあって、それを使って野山で虫を撮っていたんです。家の近くに川も山もありました。撮った写真でゾンビ映画のポスターを作ったり。学校新聞みたいなものを作っていて、そこに、ゾンビが出たぞ!というありもしないタイトルをつけて、大きく撮った虫の写真を載せて。妹と一緒にそんなものを作っていました」

 

「小さい頃から、もの作りというと大袈裟ですが、何か手作りするのが大好きでした。マンガも描いていたし、カセットテープのレコーダーを使って、妹とラジオ番組を作ったりもした。架空のDJで架空の世界の話を好きなように喋って。あと、テレビごっこも。今で言えば子供のYouTuberごっこですよね」

 

「ただ、小学校ではあまり馴染めていないというか。友だちがあまりできなくて、疎外感を感じたり、学校の先生とも全然ウマが合わなくて、いつも怒られてばっかりだった記憶があります。自分としては何で怒られるのか全くわからない」

 

「両親がアメリカに暮らしていたことがあったからか、家にはアメリカの映画(ビデオ)や音楽(レコード)、本なんかがいろいろあふれていました。そういうのを見て、自分は別のところから来た、ここじゃないところの人間だから馴染めなくて当然なんだって、自分の中で言い訳のように考えるというか、そう思って自分を慰めたりもしていました。日本で育っているのに、自分はアメリカ文化に属しているんだなんて勝手に想像していたんですね」

 

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<アメリカ留学、サリンジャーの世界>

 

「大学に入って一人暮らしを始めると、だんだんと生活にも馴染んできて、楽しみも増えていきました。本が大好きだったので、文章を書いて、漠然と作家になる自分を想像したり。書く仕事、何か作ることをやれたらいいなと思い、でもいつか就活するのかなとか考えながら学校に通っていたら、アメリカ人のゼミの先生から、「推薦状書くからアメリカの学校へ行ってこい」と言われたんです。僕も留学してみたいという気持ちがあったし、先生と話しているうちに、行くぞっていう気持ちになってきて、それで親に相談しました」

 

「ちょっと恥ずかしい話なんですが、JD・サリンジャーの『ライ麦畑でつかまえて』という小説が大好きだったので、そこに出てくる、主人公のホールデン・コールフィールドが通っていた全寮制のプレップスクールに憧れがあり、そういう学校に行きたいと思って、探し始めたんです。結局ホールデンはその学校を退学になるんですが。僕もホールデンと同じような環境で過ごしてみたかった。結果、バスでニューヨークまで行けるところに、全校生徒が千人くらいの、小さな全寮制の学校を見つけました。かなりリベラルで、アートにも力を入れている学校で、多様性を推進していました」

 

「当時その学校で、LGBTQやマイノリティの人たちがちょっと持ち上げられているというか、人気があって。ちょうどアメリカではそういう時代になってきていたんですね。僕はアジア人で、その学校ではマイノリティだから、知らないうちに人気者になっていたんです。ランチタイムのカフェテリアでは、あちこちの席から、「ミッチー、こっちで一緒に食べようよ」って声がかかる。いろんな人たちが自分に興味を持って積極的に話しかけてくる。演劇のディレクターをやっていた人から、「今度この学校のシアターで舞台をやるから、出て欲しい」と言われて、初めて演技というものを体験しました」

 

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「学校の演劇と言っても、アメリカではかなり本格的なものなんです。立派なシアターでお客さんを迎えて上演するんですね。そのためにポスターやパンフレットもきちんと作るんですが、それである日、役者のプロフィール写真や、シーンの写真を撮るようなことがあり、プロのカメラマンが撮影にやって来た。ちゃんと照明を作って、三脚を立てて撮っていく様子に、面白いなと思いました。僕も遊びで写真は撮っていたけれど、プロの世界はまったく違うことを知って、とても興味を持ちました。自分ももっと良い写真を撮りたいなって思ったり、やれば僕の方がうまく撮れるんだなんて生意気なことを考えていました。これが、自分の写真の原点というと大袈裟ですが、写真を強く意識するきっかけになった出来事でした」

 

 

<フィルムカメラ、川内倫子>

 

「日本に帰ってきたのが2011年。東日本大震災の年でした。松本の実家へ帰ったとき、父のフィルムカメラがあって、レンズは大丈夫だからそれで撮り始めたんです。ところが、撮影して現像してみると、フィルムがすべて少し感光している。どうやらどこか穴が空いているか、とにかくボディの方が壊れていた。ただ、その感光したせいでちょっと変わった感じに上がってきたプリントを僕は気に入ったんです。というか、その面白い感じの写真を見て、「俺は天才か」なんて思ったりして(笑)。その頃は吉祥寺の近くに住んでいたので、井の頭公園でよく撮っていました。池や樹木、葉っぱとか、子供の頃に見ていたのと同じようなものたちを撮っていましたね。考えてみれば、自分が撮りたいと思う対象、好きになるものが、変わっていないというか」

 

「同じ頃、アルバイトしていたのが、American Apparel社でした。社員やスタッフと経営層の人たちの距離がすごく近い会社でした。ちょうどタンブラーが出始めた頃で、僕は撮った写真をよくポストしていたんですが、社員の人がそれを見て「いいね」って反応してくれて。「うちでも撮ればいいじゃん」と言ってもらったり。たまたまアメリカ本社の社長が日本に来て話す機会があったとき、自分が写真を撮っていることを言うと、「会社のために撮ったらどうだ」と言ってくれたんです。おまけに、それに使うようにとデジタルカメラを買ってくれた。それで、American Apparelのために写真を撮るようになったんです。とてもクリエイティブな部分に力を入れている会社だったし、当時はコマーシャルフォトが写真業界の最先端でもあった。自分もその隅っこで仕事を始めていたわけです。気づくと僕も街で女の子に声をかけて撮影しなければいけない環境にいた。それが得意だったことはないし、その頃の写真はどうしようもないという気もします。けれど、貴重な体験にはなったと思うし、とにかくカメラを持ってたくさん撮っていましたね」

 

「その頃の自分にとって大きかったのは、川内倫子さんの写真との出会いでした。最初に見たのが『うたたね』です。川内さんの写真を見ていると、「これ、自分が経験したことなのかな」って思わされるというか。不思議ですが。それらは自分が見たものじゃない。川内さんの体験なのに、その写真を見ていると、自分の人生にも(その写真の世界が)存在していたんじゃないかと思わされた。一枚一枚、「この感覚、わかる」と思って見ている自分がいた。自分は絶対リアルには見ていないのに、自分が見ていたんだと感じてしまう。写真の中の動物とかに、「自分が触れたことがある」と思ってしまう。川内倫子さんの写真に、記憶が甦ってくるような感覚がありました」

 

「写真は、記録であり、記憶でもあると思うんです。川内さんが見た世界を「自分も知っている」と思ったということは、僕が撮った写真も、もしかしたら誰かの記憶と繋がっているのかもしれないと思います。そう考えると、写真はすごく面白い」

 

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<祖父、映画>

 

「僕の祖父は、映写機を作る会社を営んでいました。僕が映画や写真を好きになったのは、祖父の影響が大きかったように思います。子供の頃は、祖父の仕事の関係で、家に映画館の招待券がたくさんあった。当時松本には良い単館映画館がいくつかあって、僕はよく観に行っていたんです」

 

「祖父の家には、壁一面ほどもある大きなテレビがあって、そこで一緒に映画を観たりしました。何を観たか覚えていないのですが、子供の頃から映画や写真のようなものに自然と触れられる環境にいたんだと思います。祖父は、僕が写真家として活動を始めた頃には亡くなっていました。もし祖父が今も生きていたら、僕が撮っている写真を見てなんて言うんだろう?と考えることがあります。当時の映画のことや、映写機を作っていた頃のことを、もっとあれこれ聞いてみたかったなぁと思います」

 

「僕の写真集『あかつき』には、病床の祖父の姿や、お葬式の様子、そして、誰もいなくなった祖父の家が何度も出てきます。写真集を作っていた当時は意識していなかったのですが、今ふり返ると、祖父の存在は大きくて、祖父の不在が自分の写真にかなり深く関わっているのかなと思います」

 

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<切り取ること。記録と記憶>

 

「自分の人生にいろんな人たちが出たり入ったりしている。かつていて、今はいなくなった人のことを、「あの人どうしているかな?」って考えたりします。昔に戻りたいとは思わないけれど、もしもう一度あのときに会った人と会えたら素敵だろうなと思ったりもします。写真を見る行為とは、たとえばそんなことを考えたりすることでもあると思う」

 

「誰もが、写真を撮っているときは「何かを残したい」と思って撮っていますよね。その瞬間瞬間を切り取っているのが写真です。それはもしかしたら、もう戻れない時間の蓄積なのかなって思う。その時間はもう戻ってこない。だから写真は残っていても、もうそこには実在しない、失われている。だから写真は、記憶であるけれど、写真を撮る行為は、同時に「何かを失っていくこと」かもしれないとも思います。撮って、記録する。でも同じ瞬間に失われている」

 

「写真を見せると、多くの人が「どこで撮ったのか」「どんな状況だったのか」と、写っていない部分の話をしたがります。でも自分は、その写真に見えているものが答でいいと思っています。

シャッターを切る瞬間は、自分が主体になってある瞬間を選び取る。でも一度写真になれば、その中にもう自分はいない。だから僕は、写真について説明することで、切り取った外側をもう一度埋め戻さない方が良いとは思います。「実際にはこういう場所だった」「この時にこういう出来事があった」と説明すればするほど、写真は再び撮影した僕の経験へと回収されてしまう気がするから」

 

「写真が完成した後は、本来その残されたものが何であるかを決める権利は、もう撮影者だけのものではなく、それを見る人に委ねられるものでもあるし、撮った僕にとってもそれは同じです。撮影したときの自分と、数年後にその写真を見る自分は同じではないんです。その時の気分や経験によって、同じ写真の背景や意味が変わったり、更新されたりします。むしろそこが、写真の面白さかなと思う」

 

「本来、写真は記録のための媒体であるはずなのに、時間が経つにつれて、記録されていた事実を思い出させるだけではなく、その写真を起点にして新しい記憶まで作っていく。写真が記憶を保存するのではなく、写真によって記憶の方が作りかえられていくのは、すごく面白いと思います」

 

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「その写真が、どのように見えるか、あるいはどんなふうに見るかは、全部見る人の自由だと思っています。写真展をやると、見てくれた方がいろんな意見を述べてくれる。それぞれ見方が違うし、見ているところも違う。それを聞くのはとても楽しいし、興味深いことです。どう見てもらってもよくて、見て何を思うかも自由。でも、撮っている僕の方は、自分が「好きだ」と言えるものを展示したい。僕はバンドもやっていますが、そこは音楽も写真も同じで、作品としては自分が好きなものばかりです。良い写真、良い音楽というのはないと僕は思っていて。僕にとっては、自分が好きかどうかが重要だし、それで良いと思います」

 

「本が、書かれなかったものの蓄積であるように、写真も、撮られなかった時間を表現していると思います。一枚の写真の上に記録が残っているけれど、記憶はその周りにも確かにあって、でもそれは写真には写っていない。窓の周縁にある風景と同じですね。その写真が撮られた瞬間の前後の時間もそう。そういう意味で写真もまた、残せなかったものの蓄積だと思うんです。その残せなかったもので、でも僕の記憶に残っているもの、過去に自分が過ごした友だちとの時間とか、そういうものを一度まとめてみたいと思っていました。展示する写真の周縁にも、窓の中以外のところにも、僕の記憶が確かにある。それは観に来てくれた人たちにも感じてもらえるんじゃないかと思います」

 

「僕にとって、今回の『めいめつ』は、自分の青春にさよならするようなものかなって思っています」

 

 

 

text by Eiichi Imai

photography by Michi Nakano, Ongo Cho (Live house)