Meet the Artist

2026-05-01 13:20:00

WE ARE ALL DIFFERENT, AND COLORFUL 「違うって美しい」 SHOGO SEKINE/イラストレーター、グラフィックデザイナー、フォトグラファー

 

 

無名のイラストレーター/ニューヨークと少年

 今、最高に人気のある、多忙なイラストレーター/グラフィックデザイナーである。SHOGO SEKINE(敬称略)が描いた絵や文字デザイン(タイポグラフィー)は、街のいろんな場所、店舗やショーウィンドー、衣服や靴、誌面、そしてもちろんネット上にあり、きっと誰もが知らず知らずのうちに目にし、「いいな、これ」と思っているだろう。「きれいな色だな」と感じ検索してその名を知り、ファンになったという人もいるはずだ。

 とても運が良ければ、どこかのコーヒーショップで、彼が直前まで使っていたテーブルに、イラストレーションやデザイン文字が描かれた紙コップあるいは紙ナプキンが、置かれたままになっているかもしれない。それは今では、彼の有名なエピソードでもある。彼が今年3月に始めた「note」には、自身の言葉でその想い出が綴られている。「スターバックスと僕」というタイトルがつけられたポストがそれだ。

 

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プロのイラストレーターとして独立する前、まだ無名の頃に、売り込み用のブックを作るため、彼は毎日のように近所のスタバに通っていたという。文字通り朝から夕方まで、(カフェミストを何杯もおかわりしながら)ブック作りに励んでいた。

「当時はフリーランスでやっていくぞ!と意気込んでいたものの、知り合いはゼロ。そんな中でできた“いつもの場所”は、間違いなく自分の寂しさを癒やしてくれるオアシスだった」

 と彼は、そのスタバについて書いている。

 しばらくすると彼は、「長居してしまうことへのちょっとした後ろめたさ」と、「ありがとうとごめんなさい」の気持ちを込めて、飲み終えたペーパーカップにイラスト付きのメッセージを描き、店のスタッフに渡すようになった(あるいはただ、テーブルに置いていった)。

「気づけばもう12年以上、カップに何かしら描き続けていることになる。はたして何個描いてきたのだろうか」(noteより抜粋)

 

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時を経てプロのイラストレーター/グラフィックデザイナーとなったSHOGO SEKINEは、スタバと公式に仕事をする。まさに夢のコラボレーション。もしこれがニューヨークでの話だったら、「アメリカンドリーム」として、『ニューヨークタイムズ』紙の記者が書くサンデーコラムになったかもしれない。

 

 人生、何が起きるかわからないし、自分が何を成し遂げるのか、誰にもわからない。目の前に広がる自分の未来の色は、誰でも、好きな色に染められる。

 幼い頃、家族でニューヨークに暮らしていたSHOGO少年は、特に絵が好きだったわけではないし、MOMAやメトロポリタン美術館に通っていたわけでもない。それでもきっと、SHOGO少年の記憶の奥底に、あの街独特の音や匂い、地下からもくもくと上がってくる水蒸気、ヤジロベエを思わせる信号機、あらゆるストリートサイン、いろんなグラフィティ(落書き)、アールデコの高層ビル、あるいは、どこかでふと目にしていたアンディ・ウォーホルやバスキアのペインティングの色、デザイン、落書きだらけの壁やサブウェイ……、そういったニューヨーク・シティが、刻まれたはずだ。

 では、そんな「昔話」から、SHOGO SEKINEを紐解いていこう。

 

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アンディ・ウォーホル/色への強い関心

「子供の頃、3歳から9歳まで、父親の仕事の関係でニューヨークに住んでいたんです。自分が独立してから、それってけっこう大きなことだったんだなって感じるようになりました。今になってアメリカに暮らしていたことが生きている、という気がします。たとえば好きな色とか、自分のデザインに英語の文字を使うときの(多様な)表現とか。ふつうに日本で生まれ育った同業者からは出てこないであろうフレーズ、キャッチ、色使いを、僕はたぶん持っていると思います。この幼少期の体験や経験がけっこう自分のベースになっているんだなって。今頃、お父さん海外転勤してくれてありがとう、みたいな(笑)」

 

 子供にとっての6年間という時間は、とても長く濃いだろう(9歳の少年にとっては人生の半分以上)。乾いたスポンジのように、あらゆることを吸収していたはずだ。初めて飲んだコカコーラのように、ある種の衝撃として心身に刻み込まれたものもあっただろう。SHOGO少年は、無垢で多感な頃に、常に竜巻が起きているような刺激的な街に生きていたのだ。

 

「好きなアーティストは?と訊かれて、必ず出す名前は、モネ、アンディ・ウォーホル、バスキア、デヴィッド・ホックニー、ヘレン・フランケンサーラー、モーリス・ルイス、マーク・ロスコ、エルズワース・ケリー。色、というものに強い関心がある自分にとって、この偉大な芸術家たちからは強い影響を受けていると思います」

 

「中でもやはりアンディ・ウォーホルには、ある種の親しみを感じます。僕自身アメリカで育ったこととも、どこかで繋がっていると思います。僕がアメリカに行った1986年は、ウォーホルがまだぎりぎり生きていました。もちろん会ったことはないし、あちらは大巨匠で、最終的には映画や音楽の表現なども含めて“偉大なる表現者”という存在ですが、ウォーホルは、もともとはイラストレーター、アートディレクターで、最初は新聞や雑誌、広告、ポスターなどが主なフィールドでした。そこから、唯一無二のアーティストになった。つまり、僕も似たような路線にいるというか、キャリアの理想形はやっぱりウォーホルなんですよね。ただ僕は、ウォーホルのように人前に出たいわけじゃないです。黒子タイプなので(笑)」

 

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「色は、いつも僕にとって最大の関心事です。仕事でもプライベートでも、気づけば常に(色が)そこにある。幼少期をアメリカで過ごしたことも影響しているかもしれません。ビビッドなもの、カラフルなものに囲まれていたので」

 

1950年代から60年代のアメリカには、巨大なキャンバスに色彩そのもので表現を試みた「カラーフィールド・ペインティング」という抽象表現主義の流れがありました。大胆で、豊かな色彩に満ちたそのスタイルは、人の心に直接働きかけるような力を持っていました。その様式を知り、気づけば僕もすっかり魅了され、いつか絵を描くことがあればその文脈を辿りたいなと思っていました」

 

「僕が好きなアーティストの多くが、アメリカを活動の拠点にしていました。モネは時代と居住国が違いますが。やはり子供の頃にニューヨークに住んでいたこと、そのとき知らず知らずに見たり感じたりしていたことは、自分の奥底に深く根ざしているのかもしれないなぁって思います」

 

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行き詰まったらザッピング/街を歩いて気づくこと

 いつか(そう遠くない未来に)SHOGO SEKINEがアンディ・ウォーホルのようなアーティストになれば、彼が無名時代に「創作の場」にしていたスタバで描かれた紙コップは、すごい値打ちモノになるかもしれない。

 ウォーホルのキャリアをなぞるかのように生きる彼は、一方で、常に複数の締め切りを抱え、カオスな瞬間を何とかくぐり抜け、「(自分が描いた)この絵やデザインは、どこかでもう他の誰かがやっているんじゃないか」という不安にいつも苛まれてもいるのだとも語る。

 

「僕は、どんな仕事でも“8割が準備”と考えています。描き始める前の入念なリサーチや勉強は欠かせません。僕のアートワークでは、事前の下調べ、準備が、とても大切なんです。ひとつの仕事に対して、最初の提案日のギリギリまで可能な限りリサーチし、思案を重ねて、それから描くんです。そのギリギリのときでも、自分が思いついたアイディアが、誰か他のイラストレーターやデザイナーと被っていないか、もしかしたら世界の反対側には似たようなものがすでに存在していて、自分が知らないだけでもう世に出ているんじゃないか、自分の作品はパクりだと言われるんじゃないか……、そんなふうに不安になっている自分がいます。今でもそうです。だからこそ、徹底的に調べます。クライアントから依頼されたアートワークの場合は特に、準備にしっかり時間をかけます」

 

「僕は独学でずっとやってきました。美大に通ったことはなく、美術の歴史を体系的に学んできたわけじゃありません。イラストレーター協会のような組織にも入っていないし、同業種に親しい先輩や後輩がいるわけでもない。僕にはまだまだ、自分の仕事でも知らないことがいっぱいあります」

 

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――でもそれは、何にも染まっていない真っ白な紙のようで、いろんな色で自由に染められるし、乾いたスポンジのようにどんどん吸収できる、というアドバンテージでもありますね。

 

「そう、だから今も、同時にいくつも仕事を抱えていると、カオスになる時もありつつ、悩んだり行き詰まったときにはザッピングする感じで、ちょっとこっちの仕事を進めよう、よし次はこっちをやろう、というふうに、いくつかワークがあることで気分転換にもなるから、自分にとっては(カオスは嫌だけれど)複数同時に進行している方が正直ホッと安心するところもあります」

 

――日々のルーティンは、どういう感じですか。

 

「朝は劇的に弱いです。9時に起きるのが一番早いくらいで(笑)。午前中はコーヒーを飲みながら少し別のことをやっていて、正午以降に打ち合わせや、買い物、調べ物など、外での用事を済ませ、夕方くらいに戻ってくると、そこでやっと暖簾(のれん)を出す、という感じです。午後6時くらいから夜中の2時くらいまでデスクに向かって仕事をして、で、3時前くらいに疲れて終わりにして7時間くらい寝ると、また朝の9時。これが、近頃のルーティンですね」

 

「今もスタバは行きますし、他のカフェもたくさん巡ります。カフェに行く理由は気分転換もあるけれど、アイディアを練ったりするためでもあります。とにかく、煮詰まったら移動しまくります(笑)。以前、毎日毎日スタバに行ってブック作りに励んでいたから、身体にその習慣が濃く残っていて、いまだに家や仕事場でずっとやっているのが苦手なのかも(笑)」

 

――子供の頃のニューヨーク体験と同じで、街を歩き、カフェで過ごしていると、そこに発見や気づきもありますよね。

 

「そうなんです。僕はけっこう街を歩くのも好きだし、何も買わなくてもお店に入っていろんなものを見たり、触れたりしていると、インスパイア、インプットされることがあります。以前は本をあまり読んでいなかったけれど、最近はよく読んでいるし、本屋で過ごす時間も好きです。手に取ってパラパラとページをめくったり、装丁を眺めたり、知らない画集や写真集と出会えることもある。そういう時間も、自分の仕事や創作活動の“準備、リサーチ”でもあると思っています」

 

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他人軸のアートワーク/自分軸の作品世界

 今、SHOGO SEKINEは、向こうから次々と「描いてほしい」「コラボしたい」と言ってくる存在だが、以前は、スタバにこもってブックを作り、それを持って編集者やアートディレクターのところへ行き、自分を売り込んでいた。それは、多くのフリーランスが通る道だろう。

 

「文字が好きだったから、最初の頃はタイポグラフィー系のいろんな文字デザインをファイルに入れて、売り込みに行ったと思います。あるアートディレクターさんから、「人は描かないの?」って言われたんです。「人物描けないと、仕事が少ないよ」と教えられ、なるほどと思って。けれど最初、人はあまりうまく描けなかったんです。独学の壁を感じましたね」

 

「当時はまだデジタルでイラストを描くノウハウもなかったし、機材を買うお金もなかったので、全部手描きでした。直せと言われたらやり直す。効率は悪かったですね。でも、頑張って人を描いて見せに行って、アドバイスくれる人もいて。好きな雑誌、自分のイラストを掲載したい雑誌のリストを作って、奥付のアートディレクターさんの名前をチェックしてそこから攻めていきました」

 

「そうやって、少しずつ雑誌の仕事が増えていきました。最初は、『ポパイ』で、恵比寿の街を描いてほしい、というものでしたね。言われれば何でも「できます!」「やります!」って答えていたと思います。今日言われて、締め切りは明日の夜の11時ということもあったし。そのうち、SNSの時代が到来すると、Instagramが自分にとって大きかったと思います。自分のポートフォリオとして表現できるツールになったので」

 

「人のために絵を描く、というと大袈裟ですが、雑誌でも広告でも、大きな企業でも小さなところでも、誰かから直接連絡が来て、打ち合わせして、意見をすり合わせながら進めて、作品を仕上げるという仕事が、僕には合っているという気がしています。頼まれてやるのは好きだし、その頼んでくれた人に向けて描くように、その仕事を仕上げていくというのは、やりがいもある」

 

「ずっと、「個展やらないんですか」とか「作品集出さないんですか」って言われ続けてきたんです。でもそれは、依頼されてやる他人軸のアートワークじゃなくて、自分軸の作品世界ですよね。どこかで僕はそれを避けてきたんだろうと思います。なんか自分軸が苦手なんですよね。自分の展覧会は、テーマを誰かから与えられるわけじゃない。自分でテーマや方向性を決めることは、簡単なようで、難しいと思います。自分が好きなことだけをやって、それをみんなが好きじゃなかったらどうする?という不安もあるし。基本ネガティブ思考なので(笑)」

 

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WE ARE ALL DIFFERENT, AND COLORFUL

 シソンギャラリーでの初個展についてSHOGO SEKINEは、「あまり難しく考えすぎず、できるだけ観る人それぞれの解釈に委ねられるものになれば」と語る。テーマとしてベースにあるのは、「十人十色」だと言う。

 

「人は誰でも、つい他人と自分とを比べてしまう。それで嫉妬したり、妬んだり、時には誰かを傷つけてしまうこともある。みんな違うのに、違うから面白いのに、なぜ比べるのか、また、なぜ同じようにしようとするのか。今の時代、SNSの影響が大きいのかもしれないけれど。人は人、自分は自分。それぞれに違う色や形があっていいじゃないか、ということを、この展覧会を通してメッセージできたらいいなと思っています」

 

「僕がSNSでよくポストする「りんご」は、単なる果物のリンゴではなく、人間を表現したモチーフなんです。りんごを描くようになったきっかけは、2020年にアメリカで起きた、警官による暴行殺害事件をきっかけに広がった、人種差別への抗議運動「Black Lives Matter」でした。コロナ禍の沈んだムードとも重なり、僕は、世界には差別が根強くあることをあらためて感じさせられました。幼少期をアメリカで過ごしましたが、幸いにも僕自身は大きな差別を受けた経験はありません。それでも、この問題は他人事ではないとずっと感じていました」

 

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どうすれば差別はなくなるのだろう? どうすれば人と人との争いは減るのか? 彼はそんなことを考えながら、ある日いつものスーパーマーケットで果物売り場を眺めていたという。

 

「そこに、大きさも形も色も多種多様なリンゴたちが並んでいました。産地、色、サイズ、値段、風味の違いはあっても、パッと見ればどれもリンゴであることに変わりはない。「人間の世界の縮図のようだな」と思ったんです。肌の色、髪や瞳の色、出生地、人種、性、能力や個性、違いはたくさんある。でも結局みんな同じ人間です」

 

「先日、NASAのアルテミスⅡミッションで、月を周回した宇宙船オリオンに搭乗していた宇宙飛行士のひとりが、地球に向かってこうメッセージしたんです。“信じてほしい、きみたちはみんな美しい、出身地や見た目なんて関係ない。宇宙から見れば私たちはみんな同じ人間、ひとつなんだ”。本当にその通りだなと思いました」

 

「リンゴは、本体に葉と茎があれば、どんな形、色でもリンゴに見える。切った断面もなんか面白い。じゃあ、どこまでも形や色を変えても、リンゴに見えるのか? そんな小さな実験のような気持ちから、僕の“りんごの表現”は始まりました」

 

「もともとリンゴって、とてもグラフィカルであり、アイコニックです。アダムとイブの物語には禁断の果実として描かれ、セザンヌはかつて「リンゴひとつでパリを驚かせたい」と語ったとか。ザ・ビートルズが起ち上げたレコード会社はアップルレコードで、それに感化されたスティーブ・ジョブスは開発したパーソナルコンピューターをAppleと名づけ、それを会社名にし、文字通り世界を変えてしまいました」

 

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「僕が描いたりんごを子供たちに見せると、それが蝶々に見えるという子がいました。そんな自由自在な見え方も、りんごの豊かさなのかなって思います。僕は人をりんごに置き換えて描いているので、もはやポートレイトかもしれません。観る人には、りんごを自分自身と重ねてもらってもいいし、もちろんただ色彩と形を楽しんでもらうだけでもOKです。「あ、可愛いな」「なんか元気になる」「部屋のインテリアになる」など、自由に気ままに観てもらえたら嬉しいです」

 

「アートとは、そもそも見て楽しむもの。好き嫌いも発生する。その中で直感的に好きなものを見つけてもらって、それぞれ好きな時間を過ごしてもらえたらいいなと思います」

 

 

 

text by Eiichi Imai