Meet the Artist

2026-02-08 20:08:00

KIYO MATSUMOTO 松本妃代/画家・俳優

変容する自分を受け入れ、その先へと歩き続ける  

 

IMG_4253.jpeg   

 

松本妃代さんは絵を描く人だ。20262月、SISON GALLERy2度目の個展を開催する。私は2025年から2026年にかけて妃代さんに4度お会いしたのだけれど、妃代さんはその都度、どことなく前回とは違う空気をまとって現れた。私は彼女を前にすると、どんどん脱皮を続ける美しい生き物を見ているような気持ちになった。

 

妃代さんに初めてお会いしたのは、2025年の初春、SISON GALLERyでの初個展『Hideaway–湖のほとり、小さな隠れ家』のときだった。フィンランドの森にある小屋で3か月ほど過ごしながら描いたという幻想的な絵の数々は、どれも静かで落ち着いていて、とても暗くて、けれどもうっすらと輝いていた。光の届かない森の奥に、たくさんの美しいものたちが静かにひしめきあっている様子に、私は魅了された。

 

絵に囲まれている妃代さんを初めて見たとき、「あっ、香里さんだ(NHKの朝ドラ「おちょやん」で妃代さんが演じていた役名)」と思ったのは一瞬だけで、ああ、この人だ、この人がこの絵を描いたんだ、と腑に落ちる感覚があった。フィンランド滞在中、小屋の近くの冷たい湖でときどき水浴びをしていたという話をしてくれて、それがとても印象的だった。

  

 

[描けないときも描き続ける]

 

次に妃代さんにお会いしたのは2025年夏の終わり、下北沢のキャンドルカフェ。妃代さんの実兄である写真家の松本直大さんとの二人展『あわいーWhen it is born.When it dies.』を観に行ったときだった。妃代さんの新作は、SISON GALLERyで見た森の絵とはまた違っていて、儚げで、絵の中心が捉えづらく、境界線が溶け合うようなゆらぎを感じさせた。そこには、段階的というかなんというか、わからないものをそのまま受け止めるような淡さがあった。

 

「なんとなく、今の自分のままではいられないという気がするんです。変わるんだろうなという予感があるし、変わらなくちゃとも思うんだけれど、具体的にどう変わるのかがまだ分からなくて、見えない状態で。なんだか怖いし、どうしよう。どうしたらいいんでしょうね」

 

IMG_4309.JPG

 

妃代さんはそう言って、困ったように笑っていた。

 

3度目にお会いしたのは秋の鎌倉。あれから妃代さんがどのように変化したのかが気になって、私から会いに行った。夏ぶりの妃代さんはいくぶんすっきりとした表情になっていて、最近始めたという油絵の話を嬉しそうにしてくれた。変わったんですか、と聞くと、すごく変わったかもしれません、と今度はちょっと楽しそうに笑った。

 

IMG_4272.jpeg

 

「夏は、すごくしんどかったんです。20歳の頃から絵を描き続けて、今年で10年になるんだけど、それまで描けなかったことなんて一度もなかった。それなのに突然描けなくなって、体調も崩してしまって、どうしたらいいかわからなくて。でも、そういうのってきっと大きな変化の前触れだから、無理したらいけないと思って」

 

それで、どんなふうに過ごしてたんですか、と聞くと、「絵を描いてました」と答えたので私は驚いた。妃代さんにとって「無理しない」というのは、いったん絵筆を置いて休むことではなく、先が見えない状態でも、止まらず描き続けることなのだった。

 

「描けないなって思いながら描いている絵も、そのときにしか描けない自分の絵だから、大切にしたいんです。休んでいても絶対に解決はしないから、描きながら何かが変わるのを待つしかない。だから、夏はしんどかったけど、しんどい中でも展示をしたことはすごくよかった。無理に形にできなくても、私の内側にあるものを、形にならない状態のままで外に出すことができたから」

 

「今まではアクリル絵の具を使うことが多かったけれど、ふと思い立って油絵のセットを買ってみたら、それがとてもよかったんです。明るい色を塗っても、明るいだけじゃない深いニュアンスが出るから、今まであまり使わなかった色も抵抗なく選べるようになって。乾くまで時間はかかるけれど、表現の幅が広がって、今はそれがすごく楽しい。SISON GALLERyでの展示は、油絵が増えると思います」

 

 

 

 

[絵を描いて生きてゆく]

 

妃代さんが絵を描き始めたのは、芸能活動をしながら横浜の大学に通っていた20歳のころ。独学で描き始めたら楽しくて、気づけば毎日描き続けるようになり、家の中には誰にも見せたことのない絵がどんどん増えていった。ある日、当時のマネージャーに「絵を描いているって聞いたけど、どれくらい描いてるの?」と聞かれ、書き溜めたものを見せてみたら驚かれ、「個展をしてみたら?」という提案を受けた。身近にプロの表現者がたくさんいたこともあり、自信が持てずにひるんだものの、マネージャーの「一度やってみて、違うなと思ったらやめたらいいんじゃない?」という声や、相談に乗ってくれた先輩の「頑張らなくても続けられることは、仕事にしてもいいものだと思うよ」という声に押されて、23歳のころに初めて個展を開き、絵を人に見せる場を設けることになった。不安は大きかったけれど、いざ個展が始まってみると、妃代さんの予想を超えて、このとき展示した絵はすべて完売となった。

 

「驚きました。自分の絵を欲しいと思ってくださる人がこんなにいることに感動したし、家に飾りたいと思ってくださる方がいるのなら、これからも描いた絵を外に出していっていいのかなと思えるようになりました」

 

その後も妃代さんは俳優業と並行して絵を描き続け、年に一度のペースで個展を開くという生活を続けた。嬉しいときも、悲しいときも、日記のように絵を描き続けた。ハードな朝ドラの撮影期間中も、家に帰れば絵を描き続けたし、合間を縫って個展も開いた。妃代さんにとって絵を描くことは、いつのまにか呼吸と同じように日常的に不可欠な行為であり、生きることの一部になっていた。そのうち徐々に画業の方に軸足を置きたいと考えるようになり、2023年には事務所から独立。オファーがあれば俳優業も行いつつ、画家として生きることを選び、今に至る。

 

 IMG_4255.jpeg

 

[モチーフのゆくえ]

 

2025年の6月、福岡で個展を開催中のこと。在廊していた妃代さんは、忘れられない光景を目にすることになった。

 

「複数の部屋で展示をしていたのですが、あるお客さまが奥の部屋に手招きしてくださって。見に行くと、私の描いた大きな馬が寝ている絵の前で、その方のお子さん二人がすやすやと気持ちよさそうに眠っていたんです。その光景がとても神秘的で、愛おしくて。ああ、絵を描いててよかったな……と心から思えた瞬間でした。

私は、絵で自分の感情を表現したいわけではないんです。誰かに届ける必要があるから絵が生まれてくるというか、この世界のどこかにいるかもしれない、私の表現を必要としてくれる人に届けるために自分の身体を使って絵を描いているという感覚がある。そういう意識を持っていると、自分の中から生まれてくるものに対してより誠実になれるし、それを見つめることをあきらめたくないと思えるんです」

 

その小さな姉妹のお姉ちゃんは、目を覚ました後に「この馬の絵のところにずっといたら、涙が出てきたの」と言ったそうだ。絵の中の馬と、現実世界の小さな少女たちが共鳴しあって眠る様子を想像すると、それだけで胸の中があたたかくなる。私も妃代さんの描く生き物がとても好きだ。妃代さんの絵には、命の種のようなものが宿っていて、絵の前に立つとその種が自分の中にも入ってくるような気がする。その種は自分の中で芽吹き、育ち、そして自分の味方になってくれる。

 

「馬は、私にとって風のような存在。この世界に存在するけど存在しないみたいな、ある種の神聖さがあって、はかなさも感じる。自分が変化する時期には、モチーフとして馬がよく現れてくるような気がします。シロクマばかり描いていた時期もあるし、クジラを描いていた時期もある。自分の中でのパートナー的な動物がどんどん変化していくのも楽しいです。

 

今まで、動物や子どもを自分の分身のように描いてきたけど、最近は、色、光、気配、音、そういうものにも意識が向いてきているのを感じます。いつも意識的に絵を何かの形に落とし込むということはしていないので、この先、モチーフが出てこないということもあり得ると思います。特に最近は、具象と抽象の間をいったりきたりしているような絵が増えてきました。でもそれはそれで、そのまま描き続けてみようかなと思います。上手に描けなくてもいいし、整っていなくてもいい。ほころびがあってもいいから、純粋であることの方が大切」

 

IMG_4268.jpeg

 

[柚木沙弥郎さんのこと]

尊敬する表現者として、妃代さんは柚木沙弥郎の名前をあげる。日本における型染(かたぞめ)の第一人者として知られる柚木沙弥郎は、民藝運動にも深く携わり、染色工芸家として、絵本作家として、101歳で没するまで生涯現役で新しい表現に挑戦し続けた。

 

「子どものころから沙弥郎さんの絵本に慣れ親しんで育ちました。その後はしばらく忘れていたけど、大人になって絵を描き始めたころに沙弥郎さんの染色作品を再び目にして、シンプルなのにまるで布に命が宿っているような生き生きとした存在感に圧倒されて。こんなふうに人の心を動かして、そして見た人の心に作品の存在を重ね合わせることができる。アーティストってこういうことなんだ、と沙弥郎さんの作品から教わった気がしました」

 

「沙弥郎さんの生き方が好きなんです。だけど沙弥郎さんのように生きようと思ったら、絶対に自分に嘘をついてはいけない。沙弥郎さんはあるとき、自分のやってきたことが今までの自分のコピーに思えてしまって、それで70歳で絵本の創作を始めた人。旅からインスピレーションを得たり、立体作品やデザインを手掛けたり、いろんな時期があったけど、生涯そのときそのときの自分に正直に作品を作ってらっしゃったと思う。どれだけ自分の中の純度を保ち続けられるかというのは、私にとっても大切なテーマです」

 

「学生の頃、ご縁があって沙弥郎さんの原画をお迎えすることができて、今も自宅に飾っています。この絵が家にあるだけで、自分がどんな状態のときでも自分らしさを思い出せるし、大丈夫、間違ってない、と思える。しんどくても、まだ頑張ることができる。沙弥郎さんの作品が私にとってそうであるように、私の絵も、誰かにとってそうであれば嬉しいなと思います」

 

 IMG_4310.JPG

 

[変化する自分を受け入れる]

 

妃代さんも、妃代さんの描く絵も、どんどん変わっていく。子どもの背丈が伸びていくのを誰も止めることができないように、妃代さんの変化は妃代さん自身にも止められない。

 

「以前は、自分のスタイルをはやく固めてしまいたいと思っていました。ひと目でその人のものだとわかるようなスタイルを貫きながら、それを何十年もあたためたり、深堀りしていくアーティストの在り方に憧れを持っていたんです。でも、自分にはそれができない。「これが私らしい表現なのかも」と思えるような絵が描けたと思っても、しばらくするとまた別のものに変わってしまう。ずっとその繰り返しで、自分でも呆れてしまうけど、自分はこういう人間なので仕方がない。最近は、変化し続けることこそが自分らしさなのかもしれないな、ということをようやく受け止められるようになりました。ただ、純度を保ち続けることだけは絶対に変えたくない。そこに関してはストイックであり続けたいと思っています」

 

絵を描き始めて10年が経った今、「あのときの絵が好きでした」とか、「ああいう絵をまた描いて欲しい」と言われることもあるという。

 

「もちろん自分が描いたものだから、やろうと思えばできなくはないけれど、それは沙弥郎さんの言葉を借りると「自分をコピーをしている」感覚。表面的には変わって見えなくても、表現の純度や熱量が下がってしまうし、こういうのが出てきた!っていう私自身のワクワクする気持ちも削がれてしまう。きっとそれは見る方にも伝わってしまうと思うから、絶対やってはいけないことだと思います。

過去の自分の絵は、そのときの自分にとっては嘘のない100%のものだから、今でも好きだし、色々と思い出せて愛おしい。だから、過去にお迎えしてくださった方が今でも絵を大事にしてくださっている様子をお聞きしたり、好きと言っていただくのもとても嬉しいです。でも、今の自分には、今の自分の絵を描くことしかできない。全力で生きないと、明日が開けてこないし、その先の景色を見ることができない。自分に嘘をつかないために、毎日自分と向かい合っています。

 

突き詰めて、突き詰めて、その先にはいったい何があるんだろう?と途方にくれるような気持ちになるときもあります。沙弥郎さんみたいに、80歳、90歳まで生きたら答え合わせができるのかもしれませんね(笑)」

 

IMG_4275.jpeg

 

[直感を頼りに生きる]

 

4度目にお会いしたのは、岡山県牛窓での個展「Birth」を年末に終えたばかりで、翌月にはSISON GALLERyでの2度目の個展が迫っているタイミングだった。休む間もないスケジュールで新作を描き続けるのは心身ともに大変なことだと思うけれど、妃代さんはとても楽しそうに見えた。

 

「絵を仕事にできたらいいなとは思っていたけれど、30歳でこんな毎日を送っているなんて、10年前の自分が知ったら驚くと思います。外から見たら、無鉄砲な生き方をしてきたように見えるかもしれないけれど、でも、意外と自分なりには一本筋が通っているんです」

 

思ってもないことがよく起きる人生。こっちが安全だよっていう選択肢と、こっちいったらどうなるの?という道があったら、いつも後者を選んでしまう。安定みたいなものとは一生無縁かもしれない、と笑う。

 

「物事の流れはなるべくコントロールせず、身を任せるようにしてここまできましたが、絵を描くことを自分の軸にしてからは、今まで以上に自分に対して嘘がつけなくなりました。夏の苦しさを抜けて、自分の変化を受け入れて、今はすごくまっさらな状態。うまくいっても行かなくても、ひとつの流れの中にいるだけなのだから大丈夫、とどっしり構えることができるようになった気がします」

 

常に直感で生きてるようなところがあるという妃代さん。会う人も、住む場所も、訪れる国も、選ぶ仕事も、頭ではなく、自分の感覚に従って決めてきた。

 

「人や場所に対する勘は、昔からすごくいいんです。SISON GALLERyとのご縁も、2023年に偶然前を通りがかって、何か感じるものがあって扉を開けてみたのがきっかけ。そのとき初めてオーナーのチダ(コウイチ)さんと(野口)アヤさんにお会いして、話の流れで絵を見ていただいたら、「個展をやろうよ」とその場で声をかけてくださった。SISON GALLERyは、どんどん変わっていく私の表現をいつも楽しみながら見守ってくださる大切な場所。今回も安心して、変化した自分をぶつけることができそうです」

 KIYO MATSUMOTO 松本妃代 『 Home sweet home 』開催のお知らせ

 

Home sweet home

 

2026年の2月、SISON GALLERyで行う2度目の個展のタイトルは、「Home sweet home」に決めた。

 

今までは海外に長期滞在をして、そこで暮らしながら絵を描くということが多かったという妃代さん。今回も個展の前にスウェーデンに行く予定だったが、他の仕事や体調を考慮して渡航の計画が中止になってしまったという。

 

「どこにも行かず、国内で腰を落ち着けて創作を続けるというのは予想外のことだったけど、外部からの刺激のない状態だからこそ、本当に自分の内側にあるものだけを拠り所にすることができた。自分自身ととことん向き合って、変容していく自分を受け止めることができた気がします」

 

今までは、どこにいてもその場所を自分の家のようにして暮らす、そしてそこから生まれるものと向き合う、という感覚が妃代さんにとってのHomeだった。けれど、期せずして距離的変化の少ない一年間を過ごすことになったことで、自分が本当に帰る場所は自分の内側にあるということに改めて気づくことができたという。Home sweet home。自分の内側にある、自分だけの愛おしい居場所。そこに焦点を当てて、そこで見出した景色、そこから生まれたものを描いていく。

 

「自分の内側にあるものを、純度の高い状態で外に出したい。もしかしたら、一年前よりも抽象的な表現が増えるかもしれません。以前から知ってくださっている方を驚かせてしまうかもしれないけれど、今の自分にしか描けない、今の自分だからこそ描けた絵をお見せできると思うので、楽しんでいただけたら嬉しいです」

 

表情だったり、言葉だったり、作品だったり。妃代さんの内側から出てくるもののあまりの嘘のなさに、私はずっと影響を受け続けている気がする。それらは私をやさしく抱きしめてくれたり、不安なときに寄り添ってくれたり、迷ったときに背中を押してくれたりする。それは、妃代さんの絵にしかできないことだと思う。

 

この先10年、20年と変わっていく妃代さんの表現を私はこれからも追い続けたいから、私もできるだけ長生きしたいなと思いつつ、まずはSISON GALLERyで新しい妃代さんに会えることが、今のいちばんの楽しみになっている。

 

 

 

text by小宮山さくら/Sakura Komiyama