Meet the Artist

2026-01-10 11:00:00

私たちは非常にゆっくりと蒸発している 岡美里/美術作家

 

 

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横顔/ディック・ブルーナ/美大時代に

 一度見たら忘れられない「横顔の絵」。そのタッチ、色合い、シンプリシティ。そして横顔だからだろうか、それが誰なのか知らないのに好感を持ってしまう。なんだか「あれ、知っている人?」と思わせるようなところがある。横顔は不思議だ。

 (たくさんの)横顔を描き始めたきっかけについては後述するが、実は、そのきっかけよりもっと早く、「もともと横顔を描くのは好きだった」と岡美里さんは言う。

「美大生だったとき、モデルさんを描く時間があるんです。そのとき、真っ正面から堂々と描く人は多いんですが、私はなぜか(モデルさんと)目が合ってしまいがちで。そうすると、緊張して描けなくなっちゃうんです。だから、いつもイーゼルをモデルさんに向かって斜め横くらいにして描いていました。たぶんその頃に、私の“横顔を描く”というのは始まっていたのかもしれない、とも思います」

 その色合い、タッチについて訊ねると、岡さんはこう話してくれた。

「ジュリアン・オピーが好きなんですか、とよく訊かれるんですが、私は何よりもディック・ブルーナが好きなんです。ディック・ブルーナの絵は、私には、とても静か。彼は、三色くらいの色しか使っていないのに、それですべてを表現している。言葉がなくても子供の心を打つ。シンプルで静かなのに、物語がある。絵描きとしての私は、そこにすごく同意できるんですね」

 

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東京・両国で生まれ、西船橋で育ち、女子美術大学の油画科卒業後、多摩美術大学版画研究室に所属。社会人になり、ソニーミュージックでデザイナー、PVディレクターなどの仕事をしながら当時の渋谷や原宿のカルチャーを満喫し、千駄ヶ谷暮らしを大いに楽しみ、美術作家に。絵描きであると同時に、東京のあちこちを散歩、散策し、さらに日本各地を旅し、やはり歩いて、文章も書く(その文章がまた素晴らしいのだ)。建築、酒と食、街並み、寄り道、裏路地、喫茶店や小さくて入りづらそうな呑み屋まで、その興味は幅が広いというよりも、奥行きが深い。「でも、もともと旅するのは苦手だったんですが」と岡さんは笑う。

 では、今回の個展『私たちは非常にゆっくりと蒸発している』という不思議なタイトルの意味も含めて、岡美里さんの話を聞いてみよう。

 

 

木彫の仏像たち/祖父から学んだ仏様の顔

「私の父と母は、とってもふつうの、たぶん美術館なんて行ったことがないんじゃないかなっていう感じなんですが、おじいちゃんが仏像彫り師だったんです。実家は両国にあって、神仏具店を営んでいて、おじいちゃんは仏壇の中に納める木彫の仏像を作る人でした。店には木の仏様がいろいろ売られていて、裏におじいちゃんの作業場があったんです。大きな仏像もあって、それは売り物ではなくて、深川とか浅草のお寺でボロボロになったり、金が剥げてしまった仏様や仏壇を引き取ってきて、おじいちゃんはきれいに漆を塗り直して、金箔を貼り直して、またお寺に納めるという、そういう仕事をしていました。

 子供の頃の私には、おじいちゃんが、そうやっていつも仏様を、仏像を触っているイメージがあります。あと、記憶に染みこんでいるのが漆の匂い。今も漆の匂いをかぐと落ち着くんですよね」

 

 仏像彫り師の祖父、おじいちゃんが、いつも岡美里さんに「仏様の顔」についてあれこれ語っていたという。もちろん岡さんはまだ子供だが、それでもきっとそのいろんな話が、彼女の心身に自然と染みこんでいったのだろう。岡さんの「顔の礎」というと大袈裟かもしれないが、人の顔に対する心構えのようなものが、そのとき養われていたのかもしれない。

 

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「復元作業のために、おじいちゃんはいろんな仏像のアーカイブを記憶していました。たとえば京都の東福寺で仏像の展覧会が開かれれば、それを観に行ったり。たくさんの仏様の顔を見て、自分の頭の中に刷り込んで、その知識を引っ張り出しながら、仏様の修復作業に勤しんでいたんだと思います。子供の私にはまだきちんと理解できていなかったけれど、おじいちゃんはいつも私に、『この表情が大切なんだよ』というようなことを言っていました。

 もうひとつ最近思い出したことがあって。アトリエに仏像がいっぱい並んでいて、私が、『じゃあこれお店に持って行くね』って言ったら、おじいちゃんは『それはまだ持って行っちゃいけないものだ』と言ったんです。それは『これからお寺に持って行って、魂を入れてもらうんだよ』というんですね。木で掘られた仏様は、完成したらお寺に持って行き、お経を上げてもらって、魂が込められるという流れがあるんだよって教えてくれました。

 今おじいちゃんはもういないけれど、でも、おじいちゃんが元気なときに私は美大に入ったし、私の個展も観に来てくれたから、よかったなと思います」

 

 

西船、両国、高円寺/安西水丸/シンプルへの回帰

「絵は、子供の頃から描いていました。おじいちゃんの仕事部屋にあった彫刻の写真集も好きで見ていたし、美術館のチケットをよく人からもらったりしていましたね。中高と女子美の附属に行っていたので、周りはみんな、きっとこの子はこの道を行くんだろうと思いながら見ていたんだろうと思います。両国で生まれましたが、両親は西船橋に引っ越したので、その後は西船橋に暮らしました。女子美が杉並の高円寺にあって、家が西船で、そうするとおじいちゃんのいる両国が中間地点だから、学校帰りなんかによく途中下車して、おじいちゃんのところに寄っていました。

 おじいちゃんの仏像、木彫に親しんでいた流れで、私は自然と美術、アートに興味を持つようになったと思いますが、ふつうに絵本とか、マンガとかも好きで読んでいましたね」

 

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そして女子美で、たまに行われるモデルを描く場では、あえて斜めの位置にイーゼルを置き、気づけば自然と横顔あるいは横顔に近い角度で人を描くようになっていった岡美里さん。ディック・ブルーナが大好きだが、「シンプル界隈では、やはり安西水丸さんが好きです」と語る。

 

「あれほど少ない手数で作品として成立する。それはやはり、その裏でものすごくたくさん描いているんだ、ということに気づかされたというか。実はたくさんの手数が入っているんです。でも完成したとき、もう表面では見えなくなっている。絵になったときには、ただシンプルに美しい。すごいことですよね。絵がもちろん素晴らしいんですが、安西さんはきっと膨大に下絵を描いていて、そうして一枚を定義していったと思う。そのやり方が、粋だなって思います。30歳くらいのときに、そのことに気づきました」

 

「シンプルという意味では、横顔を描き始めたのはある意味でシンプルさを求めて、と言えるかもしれません。多摩美の美大生だった頃、陰影がくっきりしているような、ある種ドロドロとした絵柄になっていくのはやめようって思ったんですよね。正面から人の顔を描くと、陰影が大事というか、影がないと描けない。ところが横顔にすると、顔のラインだけで形ができるんです。

 人って遠くにいても、『あ、○○さんだ』ってわかったりするじゃないですか。自分がよく知っている人なら、顔が見えなくてもシルエットでわかりますよね。私の横顔の絵には、首から背中の丸みまで描かれていて、背中のカーブでその人が出たりする。正面で描くと背中が見えないから、逆にその人が出てこないこともある。

 横向きにすると見えてくるものの情報量が多いな、ということに、線画にしたときに気づいたんですね」

 

「でも美大にいるときは、こういうシンプルな線画は許されないから(笑)、油絵も平面構成も写実でしっかり描いていました。二週間くらいかけて、ひとつのもの、たとえば牛の骨を精密に描いていったり。卒業する頃には、子供の頃に好きだったシンプルなタッチの絵、ディック・ブルーナのように絵が成立するギリギリまで線も影も減らす、という方法で絵を描きたいという気持ちがありましたね」

 

 安西水丸が(きっと)何枚も、何枚も下絵を描き、その果てにシンプルの極みに到達するように、岡美里さんも高校、大学ではしっかり基礎から学び(つまりそれは何枚も何枚も下絵を描くことでもあるはずだ)、その先に今の「横顔」を自分の作品として創造している。

 では、その「横顔」についての話。

 

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友だちの横顔展/ハプニング/音楽が聞こえる絵

「最初の個展の頃は、リンゴ、コップとか、いろんな静物を、この横顔と同じようなタッチで描いて展示していたんです。そういった作品群の中に、特に深い理由もなく横顔で描いた自画像を一枚、ぽんっと入れておいたら、観に来てくれたお客さんのひとりが買ってくれて。で、そのときにちょっとピンときて、その次の個展では自分の友人たちの横顔展にしたんですね。友だち30人くらいかな、まず横顔を撮影して、描いて、神保町の製本工場跡地にあったギャラリーで一斉に展示したら、来てくれたお客さんたちみんな『面白い!』って言ってくれて、さらに、『自分のことも描いてほしい』って幾人もから言われたんですよ。その中にひとり、とても印象に残ったお客さんがいました」

 

「そのときちょうど、ギャラリーの前で工事が行われていたんです。道路工事。二週間くらいの会期中のある日、ドカンって言うんでしたっけ、工事現場などで働く男の人たちが履いている作業ズボンがありますよね、それを履いた人がギャラリーに入ってきたんです。全身ガテン系のお兄ちゃん、若い男性です。彼は私の作品をじっくり全部観ていくと、『これ、描いてもらえるんですか』って私に訊いてきたんです」

 

「最初、えーっ?と思ったけれど、すぐ、描きますよ、と応えたら、彼は『いや、僕じゃなくて妹なんです』って言って。それで私は、わかりました、私は何日にここにいるようにするので一緒に来てください、って伝えたんです。そしてその日、彼が連れてきた妹さんが、すっごいきれいな女性で。都心の老舗ホテルのマネジャーをやっている人でした。たぶん、自慢の妹さんで、彼は、自分はいいから妹の分を描いてほしいと思って、でも妹さんは何のことか最初わかっていなくて、でも兄に言われてついてきた、みたいな感じでした」

 

「妹さんの横顔を撮影し、描いて、後日渡したら、彼女はとても喜んでくれました。その横顔展を始める前はまったく想像していなかったことだし、イメージもなかったんですが、このときの個展で、私にとってはもう“世界が変わっちゃった”というか」

 

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それはもうドキュメンタリーですね、と言うと、岡美里さんは、「そうです。なので私はこれを、アートピース制作というよりは、“ハプニング”だなと思っていて。もともと赤瀬川原平も大好きなので。今も、ハプニングが起こりやすい状況で進行するプロジェクトだなって思っています」

 岡さんは横顔を撮影し、自宅で(あるいは西船にあるアトリエで)作品として描き仕上げていくが、ただ撮影するだけではない。描く人の話も丹念に聞くのだ。きっと、もともと人と会話をするのが大好きな人なのだとは思うが、これはある種のインタビューである。

 彼・彼女はどんな人なのか、生まれはどこで、何歳で、何をしていて、これまでどんなふうに生きてきて、どんな考えを持っているのか。たとえば一時間集中して質問を重ねれば、それはしっかりしたインタビュー記事になる。岡さんは描く前に記者のように人の話を聞く。それは、安西水丸の「何枚も何枚も下絵を描く」行為に似ていると言えるだろう。そのインタビューが実は絵の中にある。だから、その絵は力を持ち、輝き、観る人に「いい絵だな」「面白い作品だな」と思わせるのだろう。

 

 子供の頃ピアノを習い、今も家にあるキーボードでエリック・サティを奏でるのが日課という岡さんは、「今、ハンドパンかスティールパンが欲しいと思っているんです」と語る。

「ピアノもそうですが、何かこう、直に触って音が出るものが好きなんですよね。楽器を触ると気持ちが切り替わるし、しかもサティのように、異次元からやって来たかのような音楽を奏でていると、違う感覚が芽生えてくるというか。同じアートでも、絵を描くのと楽器を弾くのとでは、まったく違う肉体の動きだから」

 自分自身がインスピレーションになる?

「そうですね。藝大に行っていた友人が音楽家と結婚したんですが、その友人が『音楽が聞こえるような絵を描きたい』というようなことを言っていて、その言葉は自分に刺さりました。私も、横顔の絵を描いているとき、音楽が起ち上がるみたいな感じなんです。実際に聞こえるわけじゃないけれど、そこには色彩のリズムやサウンドがあって、私にしか聞こえないのだけど、それを絵にしたいなっていう気持ちがあります」

 

 音楽が聞こえてくる絵、という表現は、岡さんの横顔の絵を見ると、実によくわかるというか、腑に落ちる。時に正方形あるいは正方形に近いフレーミングで描かれた横顔の絵は、素敵なレコードジャケットのようでもある。もし自分の横顔を描いてもらったら、そこに自分のためにアルバムタイトルを入れたいと考えるかもしれない。なんなら裏面も作りたいし、ライナーノーツを岡さんに書いてほしいと願うかもしれない。それぞれの横顔に、それぞれの音楽があるとしたら、なんて素敵だろう。シソンギャラリーの展示で、たくさんの横顔が並び、それを観に行ったとき、いろんな音楽が頭の中に響いてくるかもしれない。描かれた人たちの、それぞれの音楽が。

 では最後に、とても、とても気になって仕方がない展覧会タイトルの話。

 

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私たちは非常にゆっくりと蒸発している

「私は、人間の、たとえば何か秘めたものを表現するとか、ダークな部分を見せるとか、あるいは社会のゆがみのようなものをメッセージするとか、そういうのは言葉ではやりたい(文章で書きたい)という気持ちはあるんですが、絵に関しては封じているんですよ。生きていて本当に大変だとしても、絵ではそれは見せず、可能な限り明るいもの、淡々と描いていきたいなという気持ちがあります。

 そして絵のタイトルには、暮らしとか生活という言葉は絶対に遣いたくない。でも一方で、展覧会のタイトルに、日々の淡々とした暮らし、生き方を込めたいという気持ちはある。何か、直接的ではない言葉で、言い回しで、うまくそれができないのかな、って考えていたときに、ふと、“蒸発”という言葉が思い浮かんだんです。

 コップに水を汲んで置いておくと、いつか蒸発してなくなりますよね。こぼれたり、飲むのではなく、気づかないうちに、見ていない間に、いつしかなくなっている。それって実は、非常に重要なことが行われている・起きているということなんだよ、ということを私は言いたかったんですね。

『非常にゆっくりと蒸発している』、このタイトルを思いついたとき、これは、生と死を表現しているタイトルになると思いました。私は、決まった、これでハマった!と思って、家族に『ねぇすごいタイトル考えちゃったんだけど、どう?』と言ったら、もう、キョトーンとしていましたね(笑)。

 コップが倒れて水がこぼれたら消滅ですけど、そうじゃなくて、ゆっくりと消えていく。時に解放されて調和するように。すべてのものと混ざり合うように。亡くなった愛猫や愛犬が、今も部屋の中にいるような感じ。

 だから、今回の個展では、横顔以外にひとつ、水を入れたコップの絵も描いて展示する予定ですし、他にも静物とか、いろいろ出すつもりでいます」

 

 

 

text by Eiichi Imai