Meet the Artist
THE JOY OF CREATING KUMI KOSUGE 祖母の家で育んだ、心躍らせるもの作り。 小菅くみ/アーティスト、刺繍作家
餃子/ハピネス/三日三晩
画家が絵を描くのも、作家が小説を書くのも、それはきっと孤独な作業だろう。ひとりキャンバスに向かって描く、ひとりラップトップに向かって書く(あるいは原稿用紙に万年筆で)。「作品」とは、一人きりの創作活動から生まれてくる。
刺繍もまた、とても孤独な作業だろう。布の上に刺繍針を刺し、無数の刺繍糸を通して装飾していく。一人きりの時間だ。
孤独という言葉から人は、「寂しさ」や「厳しさ」を連想するものだが、小菅くみさんの刺繍作品から、そのようなことは感じない。小菅さんの作品を見た人たちが抱くのはきっと、「楽しさ」「喜び」「温かさ」。
楕円形の皿に乗った餃子はとてもおいしそうだし(瓶ビールと小さなグラスがほしくなる)、かぼすと大根おろしが添えられた秋刀魚の塩焼きからは、湯気と香りが立ち上がってきそうで思わずウキウキしてしまう。大谷翔平もマイケル・ジャクソンも笑顔を浮かべている。
小菅さんの作品には、総じて「ハピネス」や「スマイル」があるのだ。
「テーマによって違いますが、人なら、いつも楽しそうなところを描こうと思います」と小菅くみさんは語る。「写真を見ながら下絵を描くことが多いですが、笑っていない顔の写真をベースにしていても、私の作品ではその人の口角を少し上げたりします。笑顔を描きたい、ハッピーでありたいというか。私の作品を見てくれた人が楽しい気持ち、嬉しい気持ちになってほしいと思うので」
「小さい頃から、おばあちゃんと料理をしていて、いつもおいしく食べていました。食べることも、自分で料理することも、どちらも大好きです。自分にとっての理想の餃子が頭の中にあるんだと思います。一応写真を見るけど、自分が食べて美味しかったときの味や匂い、熱々できたての皿の上の餃子とビールがある光景、みたいなのがあって、それを作品にしたかったんでしょうね。餃子もハンバーグも、食べたくなる作品に仕上げようと思って刺繍しました」
「孤独な作業ですか?と訊かれたら、はい、そうです、と答えます。今日もこの後、家に帰ったら作品作りします。夜派なんです。夜は、電話もかかってこないし、静かだし、集中できるので。昼間ガーッとやって、夜はきちんと寝る方が健康に良いのは知っていますが、三日三晩、というのが自分のペースなんです」
小菅さんが言う「三日三晩」とは、とりあえず三日間、根を詰めて刺繍をして(もちろん短く睡眠はとるし、ご飯も食べるし、猫の世話もする)、四日目に一度作業から離れ、小菅さんいわく「大きく寝て」、そして翌日から再び三日三晩、創作に集中するということ。今回シソン・ギャラリーに展示される作品たちは、そんな数多の三日三晩を経て生まれてきたものたち、ということになる。
「自分がノっているときは、休まず延々やっていたい方なんです。終わりが見えてくると、もう勢いを止めずに続けますね。間を置くともっと良くなるという人もいるけれど、休むとサボり癖がつきそうで怖いんです。あと、私、暇な時間があるのが苦手で(笑)。常に何かやっていたい人なんです。だから移動中もチクチク(刺繍のこと)やっています」
小菅さんは、たとえば列車やバスでの移動中も「チクチクやっている」という。「バスの方が、より時間がかかるから、列車じゃなくてバス移動を選ぶことも多いです。その分刺繍に没頭できるから」と小菅さんは言った。
「たとえば、京都へ行くときは、のぞみで二時間少しと決まっていますよね。飛行機で沖縄へ行くときは3時間くらい。その移動時間に合わせて本を選ぶ人がいるように、私はその時間に合わせた刺繍をします。でもこの前、羽田で飛行機に乗るとき、機内持ち込みバッグにハサミが3つ、針が何本も入っていて、止められて、あ!ってなりました。日本だったから結果的に大丈夫でしたが、海外の空港だったら危険人物と見なされて奥の部屋に連れていかれたかも(笑)」
もの作り/初めての刺繍/祖母の家
幼い頃、初めから刺繍をしていた、という人はあまりいないのではないか。誰でも最初は、裏紙とか、ノートの端っこに落書きし、絵を描き、マンガの好きなキャラクターを真似して描いたり、あるいは、新聞紙のような身近なもので何かを造形してみたり。小さな頃のそういう「遊び」が、多くの人にとって「アートとの出会い」「最初のもの作り」だろう。ほとんどの人はあるときそれをやめてしまうが、アーティストになる人はそれをずっと続けて大人になる。小菅くみさんの場合は、どうだったろうか。
「私は東京生まれ、東京育ちですが、宮城県仙台市に母方の祖母がいます。今も健在で、この11月に103歳になりました。祖母は去年も、東京のギャラリーに油絵作品を出展したり、日展に出したり、アマチュアですが創作活動が旺盛な女性です。祖母は手を使っていろんなことをする人でした。私はおばあちゃんが大好きで、幼い頃から、夏休み、冬休みと、いつも遊びに行っていて。今も行きます。東京生まれの私にとって、仙台のおばちゃんの家は故郷のようでもあり、いつもワクワクできる楽しい場所でした」
「私と祖母は、親戚の人に『おまえはおばあちゃんの生き写しだ』と言われるくらい仲良しで、絵はもちろん、粘土、切り絵、木彫り、全部おばあちゃんから教わったというか、おばあちゃんと一緒に『もの作り』をして遊んでいた、という感じでした。私が料理を好きになったのも、おばあちゃんが料理好きで、いつも台所で一緒にいたから。おばあちゃんの周りには常にもの作りがあって、私は何でも自然に好きになりました」
「絵を描くのは特に好きだったから、私はいつも何か描いていて、母親は、『くみは、ペンと紙があれば、何時間でも大人しくしているから、楽だったわ』と言っていましたね。幼稚園の頃は、見たものを描いていたと思います。鳥とか、花とか、何でも。その後マンガに夢中になったので、キャラクターの模写をしたり。ずっと動物の絵は描いていました。今も動物は好きだから、刺繍でもいろんな動物をモチーフにしています」
「最初の刺繍のことをよく覚えています。ちっちゃな私がおばあちゃんの隣に座っている。おばあちゃんはたぶん粘土をやっていて、私はその横で、家にあった布の切れ端にチクチク(刺繍)やっている。おばあちゃんの家にウサギのマスコットがあって、それを刺繍している。できあがったとき、おばあちゃんにそれをあげたんです。すると大喜びして、すっごい褒めてくれて、『これ、飾らなくちゃ!』と言ってくれたのが、とっても嬉しかった。このときの嬉しさ、喜びが、ずっと私の創作活動の根底にあるんです。『創ることは、いいこと』『何か創ると、人は喜んでくれる』『私が創ったものが人を笑顔にする』、その気づきを最初にくれたのが祖母でした。そしてそのときに抱いたハッピーな気持ちを、今も変わらず持っています」
遊び/ワクワクすること/心躍る刺繍
小さな小菅くみさんが、仙台の祖母の家にいて、おばあちゃんの横にちょこんと座って「遊んで」いる。その遊びとは、絵を描くこと、木を彫ること、粘土で造形すること、刺繍をすることである。それは幼い小菅さんにとって一番楽しいこと、幸せな時間でもあった。彼女が何かを仕上げると、おばあちゃんは必ず褒めてくれたし、わからないことがあれば教えてくれた。
昨今「民芸(民藝)」がブームだが、もともと民芸とは、生活の中で生まれてきた道具であり、装飾品である。そういう意味では、仙台の祖母の家で、おばあちゃんと幼い小菅さんがしていたもの作りも、ある種の民芸だと言えるのだろう(もの作りの精神として)。
昔の日本では、父親と母親が畑などで働いている間、祖父母が子供たちの面倒を見ていた。夜、囲炉裏のそばに家族が座り団らんがある。両親は縄を編んだり、来る次の季節のための準備にも忙しい。そんなとき、小さな子供が両親の作業の邪魔をしないよう、祖母や祖父が昔話を聞かせたのだ。だから言葉は隔世遺伝のように、おじいちゃんおばあちゃんから孫へと伝わり受け継がれてきた。民芸=もの作りの土台も、そこにある。
小菅くみさんもまた、おばあちゃんから「手で創ること」を教わってきた。小菅さんの刺繍作品には、たとえマイケル・ジャクソンやサッポロの赤星が刺繍されていたとしても、そこに「おばあちゃんとの幸せな時間」が流れているのだ。だから小菅さんの作品を見ると、人はハッピーになり、ほんわかした気持ちになり、笑顔が浮かぶ。
「毎回、個展を開くときは楽しくて仕方ないんです」と小菅さんは笑顔で言った。「ここに展示していいよって言ってくださるギャラリーの人たちと過ごす時間が楽しいし、どうやろうか、どう飾ろうかと話し合うのも嬉しい時間です。そしてついに展示が始まると、大勢の人たちが来てくれて、その皆さんが笑顔で作品を見てくれ、喜んでいるのを見るのが、私にはスゴく楽しい」
「おかしな言い方かもしれませんが、個展をやるときはいつも、『自分の生前葬』みたいだなと感じていて。だってみんなが私に会いに来てくれて、私が創ったものをじっくり見てくれるわけだから。楽しい生前葬がいいじゃないですか。みんな集まって楽しく過ごす時間、それが私にとっての個展です。私がワクワクしているから、来てくださる皆さんもワクワクしてほしい。来てよかった、楽しかったよ、って言ってもらえたら嬉しい。喜び、楽しさ、笑顔を持ち帰ってほしいから、そういう感情をギュッとまとめた感じにして、心が躍る展示にしたいなと思っています。今回のシソン・ギャラリーのテーマがそれなんです。自分の刺繍作品で、みんなの心を躍らせたい」
text by Eiichi Imai