Meet the Artist
FROM KAZUKO TO KAZTERRAMORI KAZUKO HAYASAKA 森と海、光と雨、樹と土 早坂香須子/メイクアップアーティスト、植物療法士
旅/着ぐるみ/心象スケッチ
人は何かを探して、旅をするのだろうか。たとえば自分にとっての理想の場所、定住地とか。
メイクアップアーティストで植物療法士の早坂香須子さんは、モロカイ島からフィンランドまで、これまで国内外いろんな土地へ旅をしてきたが、近年、長野県のある森に、「自分の居場所」を見出したという。
人は、何かをかぶって生きているのだろうか。そしていつかそれを脱ぎ、素の自分になるのだろうか。
早坂さんは「カズテラモリ(KAZTERRAMORI)」の名で絵を描く。カズテラモリのinstagramには、絵日記のように、たくさんの絵がアップされている。2月13日にポストされた絵は、大きな熊に背中から抱かれた早坂さん自身のポートレイトだ。ポストされた多くの絵には言葉が書かれていないが、この絵には短くこう記されている。「はい、熊の着ぐるみを着ていたのは、私です」
宮澤賢治が「心象」と呼んだ心の光景。時に淡く、時に鮮やかな色彩で描かれるカズテラモリの絵は、早坂さんの心象スケッチなのかもしれない。
「絵を描くとき、ノープランです」と早坂さんは語った。「多くの場合、完成図はなく、最初の色を描きます。もちろん、家にチューリップがあって、それを描きたいと思って始めることもあります。植物は雄弁です。植物から出てくるもの、精霊のようなというか、そういうものから描き始めることも多いです。この前、20年くらい愛用してきた靴下に穴が空いてしまったんですが、それはヒマラヤの山岳民族の人たちが履いている靴下で、私はそれがとても気に入っていました。どうしよう、いよいよ捨てなくちゃいけないのかな、と悩んだその日にできた絵があります。それは、その靴下の柄の服を子供が着ている絵。何が出てくるのか、自分でもわかりません(笑)」
9月のある夜、早坂さんの長年の友人宅にお邪魔し、その家の主が心を込めて作ってくれた夕食に舌鼓を打ちながら、早坂さんの話に耳を傾けた。森や海のこと、旅の話、土と草木、美容、幼い頃の自分のこと、そして、ジョージア・オキーフまで、話は大きく広がりながらも、やがて小さなひとつのことに集約していった。
大好きな場所/暮らしたい土地
「大好きな土地はいろいろあります。ハワイのマウイ島は、『本当にここに住みたい』と思った場所です。その隣にあるモロカイ島も私にとって大切な場所ですが、こちらは『第二の故郷』という感じ。モロカイには、ある時期何度も通いました。
フィンランドもフランスも大好きだし、忘れがたい土地、何度も行きたい場所が、他にもたくさんあります。
日本も、オーガニックコスメブランドのディレクターをしていたとき、北は北海道から、南は沖縄の池間島まで、各地の生産者の人々に会い、それぞれの土地の植物を求めて、旅していました」
「ジョージア・オキーフの世界に触れたくて、アメリカ・ニューメキシコ州サンタフェの、ゴーストランチにも行きました。私が今暮らしている森の家は、オキーフが暮らした家と、フィンランドの建築家アルヴァ・アアルトの邸宅を参考にして、イメージを建築家に伝えていきました」
「私は山形県生まれ、山育ち。月山の近くの田舎町で、二歳半まで過ごしました。裏が山で、家の前に小川が流れているようなところ。近所の家では二階でお蚕さんを育てていました。海は大好きですが、自分の心象風景には山と森と川があると思います」
「友人夫婦が、東京から車で5〜6時間、列車とバスをうまく乗り継いでも4時間ほどかかる、長野のとある湖畔の森に引っ越したんです。初めてそこを訪れたとき、『え、ここは何処?』と思いました。それまで見たことのないような風景でした。フィンランドの森のようにも見えるし、スイスと言われたらスイスのようだし、カナダ人がそこへ来たときは『カナダみたい』と言ったとか。
何処にも似ていないその場所に、私はすぐ『住みたい!』と思ったんです。
コロナ禍の頃、東京とは別の場所にもうひとつ拠点を持ちたいという思いが強まっていました。軽井沢、八ヶ岳の麓、いろいろ見ましたが、どうもピンとこなかった。でも、その森は、『今すぐ住みたい』と思った。友人夫婦は、『いい場所、探しておくね』と言ってくれました」
森の時間/森と共に生きる
「2022年の浅い春の頃、その森にはまだ雪が残っていました。木々の葉は落ちたままだから光がたっぷり入ってきて、『明るい森だな』と最初思いました。夏になると葉が茂ってきて、濃い影を落とす森になりました。
原生林のような土地かと思っていたんですが、実はそこは50年くらい前に植林された人工林でした。その後、人の手が入らなくなり、ずっと放置されたままになっていたらしい。それで古い森のように見えたんです。
ところが、間伐したら、なんだか丸ハゲのようになってしまって、ショックを受けて。自分を責めていたら、林業をしている友人や森の専門家が、『ぜんぜん大丈夫、もっと切っていいんだよ』と言ってくれた。『手を入れたら、100年後には素晴らしい森になるよ』と。そこから私とその森との対話が始まりました」
「森には森の時間が流れています。東京のペースで仕事をしてきた私には、森の時間のことが最初わかっていなかった。
ずっと放置されていたところに人の手が入り、土も最初はびっくりしている。2年目になると、草木がどんどん顔を出してきました。よし、私はここに、100年後に美しくなっている森を育てようと思いました。森と一緒に生きてこう。その森に今、暮らしながら、日記を書くように絵を描いています」
言葉より饒舌なもの/自由になれること
「小さいときは、毎日のように絵を描いていました。絵というか、落書きですね。家に届く新聞には広告の紙がいっぱい挟まっていて、裏が白かったから、そこに自由に落書きしていたんです。図書館大好き少女だったので、何か読んで家に帰ってくると、裏紙に、読んだ話に感化された絵を描いたり」
「大人になり、私は看護師になって、その後ファッションと美容の世界に進みました。私の周りにはアーティストがたくさんいました。メイクアップアーティストの仕事をする私は裏方でした。私は技術者であり、表現者ではないと思っていました。表現者というのは、選ばれた人、大学を出ていたり、アカデミックな勉強をしてきた人だと私は決めつけていたんです」
「コロナ禍の夏に、岐阜県美濃市の友人宅に泊まっていたとき、『描いてみたら?』って言われたんです。最初私は、いやいや、私は表現者じゃないから、絵なんて描けないって答えました。でも、友人は、『そんなことない、カズちゃんが思ったことを自由に描けばいいんだよ』という感じで言ってくれた。私は、そのとき心にあった光景を小さなキャンバスに描いてみた。ものすごく拙い絵。ところが周りのみんなが、『かわいい!』『すごくいいね』って言ってくれたんです。
それは、言葉にならないような思いを絵にしたものでした。言葉より絵が饒舌に語ってくれたんですね」
「私は、一度言葉を失ったんだなって思っていました。それまでメイクアップアーティストとして忙しく働いていて、イベントに呼ばれて喋ったり、インタビューを受けたり、いろんな場所で多くの人たちに語ってきました。オーガニックや、美容のこと、植物療法士として大切なことを女性を中心にたくさんの人たちに伝えてきた。
でも、あの森と出逢ってから、なんだか言葉が出てこなくなったというか。『どんな森なの?』とよく訊かれましたが、その度に「え、えーと……」みたいな感じで、うまく伝えられない自分がいた。
森がスゴすぎて、そこで起きていることが大きすぎて、言葉にならない。自分の声では表現が足りないというか。それが、絵を描いた瞬間、自分の中で腑に落ちたという感じでした。言葉で伝えられなくてもいいんだ、自分が描いた絵で見せられる、これでいいんだ、と思えたんです。安心できました」
「あのとき、『描いてみなよ』って言われて、小さなキャンバスにふと描いたとき、そこにいた誰も茶化さないでくれた。じっと見て、『すごくいいね!』と言ってくれた。その出来事が、私の背中を押してくれたような気がします。それ以来、ほぼ毎日、絵を描いています」
「メイクの仕事はチームワークで、みんなで作り上げるもの。モデルさんタレントさんがいて、カメラマンがいて、編集者がいて、セットを作っていく。みんなで作り上げる世界です。楽しかったし刺激的でした。
絵は、自分だけです。他の誰も関わらない。自分だけの宇宙。子供の頃、広告の裏紙に自由に落書きしていた気持ちと同じ。とっても自由。誰にも見せなくてもいい、『わーい!』という感じかな(笑)」
熊を脱いだら/自然との繋がり
早坂さんに話を聞いたその家には、何点か早坂さんが描いた絵があり、そのひとつが、先に書いた「熊の着ぐるみを脱いだ早坂さんのポートレイト」だ。その絵を手がけた頃、早坂さんは体調を崩し、ゆっくり治っていたときだったという。
「いつも身体のことを一番に考えて、健康の大切さを人に語ってきた自分が、体調を崩して、一か月半くらいの間、熱が出たり下がったり、咳が出たりを繰り返していました。それが少しずつ良くなってきた頃にこの絵を描いたんです、描きながら、一枚一枚、自分が背負ってきたもの、羽織っていた余計なものを脱いでいくような感じがしました。自分の身体と心に向き合いながら描いていた。『私が脱いだものって、何だろう?』って思ったとき、『あ、熊の着ぐるみだ』って思ってできあがったのが、これ(笑)」
長い間、「がんばってメイクアップアーティストをやっていた自分がいた」と早坂さんは言った。
早坂さんは、たくさんの女性たちを輝かせてきた。それはもしかしたら、自分を差し出すような作業でもあったかもしれない。
熊の着ぐるみを脱いだとき、自分が生まれ変わった、あるいは、新しい自分が現れた。絵を描く人、表現者としての早坂香須子、カズテラモリだ。
「でも、脱いだら、上手に言葉が出てこなくなっちゃった」と早坂さんは笑った。「一方で、すごく楽になった。かわりに絵が、語ってくれるから」
今の(ここ数年の)早坂さんの思い、心象スケッチが込められた絵が、シソンギャラリーに展示される。それらは時に饒舌に、あなたに何かを語りかけるかもしれない。
「私が暮らす森には小川が流れ、その水は湖へ流れていきます。山に雨が降り、川となって流れて、水はやがて海へと至る。山の水を私は飲んでいるから、私は山を飲んでいるとも言えるし、雨は空から降ってくるから空を飲んでいるとも言えますよね。つまり、私たちはみんな自然の一部なんだなって。そういう意味では、私の絵は、そんな“自然との繋がり”についての絵なのかもしれない。あ、今、そう思いました」
そう言って、早坂さんは大きく笑った。
text by Eiichi Imai
photography by Koichi Chida