Meet the Artist
WOMEN WITH SOMETHING ON HER HEAD YUKA SAKAMAKI
猫のいる部屋で描かれた絵 坂巻弓華/画家
頭に「何か」をのせた女性たち
かれこれ1年ほど前、坂巻弓華さんの絵を初めて見た。
ときどき立ち寄る、とあるセレクトショップの二階がギャラリースペースになっていて、いろんな作家の展示がおこなわれている。その日もいつも通り、一階にある生活雑貨、衣服、植物などをゆっくりと見て、それから二階へ上がると、絵の展示がおこなわれていた。
ほぼ正面から描かれた女性のポートレイトがいくつもあった。多くは上半身のアップで、視線はどこかを見るともなく見ているという感じ。女性たちは黒髪のショートカットで、頭の上にシロクマをのせていたり(クマは、そこにいるのが「あたりまえ」という感じだ)、右腕に猫をのせ左手で縫いぐるみのクマをつれていたり、動物がモチーフになったトンガリ帽子をかぶっていたり。なんだか、おもしろい。
最初、油彩画と思ったが、近づいてよく見ると、アクリルのようだ。ただ、かなり分厚く塗られている。人物の背景はいろんな色で描かれているが、基本的にモノトーンで、一見すると静謐な肖像画という感じ。風景画、静物画もあった。
どれも、ちょっぴり不思議な感じがする絵で、なんとなく頭に浮かんだのは、マグリット、有元利夫。
それから、吉本ばなな、村上春樹という名前も連想した。というのは、どれも「物語」を感じる絵なのだ。小説、絵本の、さし絵か表紙のようでもある。あるいはこの画家は、何か物語を自分で創作して、それに合わせるように絵を描いているのではないか、などと勝手に想像した。とても魅力的な絵ばかりだった。
描かれている女性たちの顔が、どれも同じようにも見えた。画家自身の顔、つまりこれはセルフポートレイト(自画像)なのだろうか。いったい、どんな人が描いているのか。
坂巻弓華、という名前を、このときに知った。坂巻弓華さんとは、どんな人なのだろう? 坂巻さんが描く絵に物語があるならば、それも読んでみたいなと思った。
それから一年ほど経って、シソン・ギャラリーで坂巻弓華さんの個展が開催されることになり、坂巻さんにお会いしてインタビューすることになった。
春の少し冷たい雨が降る午後、坂巻さんの住居兼アトリエを訪問した。一緒に行ったシソン・ギャラリーの女性オーナーの上着の裾が、雨の中を歩いてきたからだろう、少し濡れていて、それを見た坂巻さんはすぐ、「あ、濡れちゃいましたね」と言って奥へ行きと、タオルを手に戻ってきた。
アトリエは二階だった。天井がとても高い、広々とした部屋で、その一画に、小さなアトリエがある。
座り心地の良さそうなソファに、ふわっとブランケットがかけられていて、その下に猫がいることはすぐにわかった。絵の中で女性の頭の上に丸くなっていた猫だろうか。(姿は見えずとも)そこに猫がいる、ということが、なんだか嬉しかった。今、猫がいる部屋にいるのだ。
床には、描き終わったばかりの絵が何枚か壁に立てかけてあった。そこにも、あの女性がいた。一年ほど前の個展で見た女性だ。
女性たちはみんな、こちらを向いている。視線は、こちらをじっと見ているようにも見えるし、どこか違うところを見つめているようにも見える。頭の上に一本のニンジンをのせた女性もいる。緑の葉がたっぷりついた大きなニンジンだ。
女性たちはみんな、大人のようでもあり、少女のようでもある。絵を見てから、円いテーブルを挟んで坂巻弓華さんと向かい合うようにして座った。やっぱり絵の女性と同じ人だ、と思ったので、(そのことをどう訊けばいいか、迷っていたのだけれど)最初の質問はこうだった。
「絵の中の女性たちは、みんな坂巻さん自身ですか」
誰でもない、どこかにいる人
「ときどき、そう訊かれるんですが、違います、私じゃないです。特に「誰か」と決めてないんです。でも、たまたまみんな似た顔になっていて。手癖で同じような顔になってしまうんだと思います。もちろん、参考にするために自分の顔を鏡で見ることはありますが、自分を描いているわけではありません」
――この女性たちには、モデルがいるのですか。
「私、すごいくせっ毛なんです。だから、「さらさらロングヘアーの女性は描かないぞ」というのは、どこかで決めていました(笑)。くせっ毛の人を描いてあげようって思って。モデルはいないのですが、うっすらと「定義」のようなものがあります。若いのか若くないのか、どうもよくわからない女性です。子供っぽく見えるんだけど、子供じゃなくて。私よりきっと年上なんだけど、どこか幼いところもある人」
頭にのせるもの、絵と物語
――最初に描いた「頭に何かをのせた絵」、覚えていますか。
「いつ頃から頭の上に何かをのせているんだろう? 二年くらい前でしょうか。何かのイベントのときに、頭に何かのせて描いたら、「もっとそれ描いて」って言われたんです。「(何か)頭にのせている絵が欲しい」って。それで描くことが多くなりました。
何でもいいというわけじゃなくて、たとえば魚は生臭いから頭にはのせたくないなと。魚は私の好きなモチーフのひとつなんですが、魚を描くときは手に持たせます」
――タイトルが、物語のような、短歌のような。
「タイトルは、詩を作るような感じです。先に決めたりはせず、絵を描き出してから、どんなタイトルにしようかな?って考え始めます。描いていると、テーマみたいなものが現れてくることもあるし、描き終わってからタイトルを考えることもあります。もともと文章を書くのは好きでした。十代のころ、何かを書きたくていつも書いていたんだけれど、でも書けなくて、以来しばらく(書くことを)封印していました。二十代後半になって、また書き始めた感じです」
――好きな作家、好きな本はありますか。
「好きな作家さんはたくさんいます。吉本ばななさん、堀江敏幸さん……、新しい作品が出たら買ってすぐ読む、というタイプでなくて、好きな作家の好きな作品を繰り返し読むことが多いかな。牧野伊三夫さんの文章は好きですし、大竹伸朗さんの文章も読んでいましたね」
――今回の個展のDMにもなっている絵の女性は、頭にニンジンをのせていますね。俳句のようなタイトルは、「マヨネーズの美味しさに気がついた17のあの夏」
「最初ニンジンはなくて、この人の絵を描き始めて少ししてから、どんなタイトルにしようかな?って考えていたら、「マヨネーズっぽい色の服にしよう」というのが決まったんです。で、マヨネーズに合うものは?と考えたときに、ニンジン(笑)」
画家として生きること
――ずっと絵が好き、描くのが好きでしたか。たとえば幼い頃とか、よく絵を描いている少女でしたか。
「確かに子供の頃にも絵は描いていたと思いますが、夢中で絵を描いていたとか、そこまでではなかったように思います。というか、子供の頃何をしていたか、わりと記憶が希薄です。ただ、親や親戚の影響もあって、何か「描く」という行為が近くにあったと思います。画家になりたいとか、そういうふうにはまったく考えていませんでしたね」
――今は日々、何かを描いていますか。たとえば、朝、起きて、どれくらい描いているんでしょうか。
「朝、ふつうに起きて、歯を磨いて、コーヒーを飲んで、猫のことをやって、そして描き始めます。あんまり家事とかもせず、なんとなく絵を描き始めます。展示が近くなると、朝から夕方、夜になるまで描くこともあります」
「ここ一年、一年半くらいかな、急に忙しくなってきた気がします。展示が次々あるので、いつも絵を描いているという感じになっています。なんだか、毎日ずっと描いていますね(笑)。その前までは、のんびりしていたと思います。販売員などのアルバイトをしながら描いていたときは、時間が空くと描く、というペースでした」
「五日間くらい続けて休みたい!って思うこともあるけれど、今こうして(絵に)集中できるのは嬉しいです。そもそも絵で生活できるなんて考えたこともなかったから。周りの人たちも、「絵で食べていくなんて無理」って言っていたし(笑)。ラッキーだなって思います」
「絵の仕事を始めたばかりの頃は、駆け出しだから、自分のことを「画家」と名乗るなんて、という気持ちがどこかにありました。何かしら描いて仕事にするならイラストレーターかなとも思いましたが、私は技術があるわけではないし、発注されて注文に応じてイラストを描くというのが、自分には向いていないなーと思って」
「あるとき、小さな個展をやっているときでしたが、人から「イラストの仕事をしているんですか」と訊かれたんです。そのとき、わりとはっきりと「いや、イラストはやっていません」と答えたんですね。そうしたら、気持ちがすごく楽になりました」
「注文されても、自分には難しい絵もあるし、できないと思うテーマもあると思うんです。でも、今のスタンスなら、自分が描きたいものだけ描けばいいから、楽です。締め切りは大変ですが、やっていることは大好きだし、描きたくないものは描かなくていいから。ただ、自分にもっと技術があればなぁって思うことはあります」
「私の絵には、哲学的なこととかは一切なくて、あるのは感情です。私が描いている女性は、たとえば、「私は傷ついている、けれどわかってもらえてない。気づいて欲しい」って思っているとか。私にとって絵は、「感情」ですね」
――坂巻さんの漫画も好きです。四コマ漫画、三コマ漫画、ひとコマだけというのもありますが、漫画はどんなときに描くのですか。
「四コマ漫画みたいなのが好きで、昔から描いています。自分でバカ漫画って呼んでいます。これはあくまで私の漫画の描き方ですが、だらだらやるのが楽しくて、好きなんです。夜にお酒とか飲みながら、自由に描いたりします。漫画を描くときは、自分が楽しい気持ちのときですね。ただ、「アイツが憎い!」とか思いながら描くときもありますけど(笑)」
猫のいる部屋で生まれる絵
坂巻さんのアトリエは、こぢんまりとした空間だ。意外に小さなスペースですね、と言うと、坂巻さんは、「狭いですよね。テーブルの上に台を置いて、その上にキャンパスを立てて描いています。(その場所では)大きな絵は描けないから、いつか大きいのを描くときは、どうしようかなって思ってはいるんですが」と言った。
壁の高いところに、正方形の窓がある。その下に、高校生の勉強机くらいのサイズの(けっして大きくはない)デスクがあり、その上にアクリル絵の具がたくさん置かれている。かわいい木の椅子もこぢんまりとしたサイズ。三方は白い壁で、手を伸ばせば届くくらいの距離感。つまり、小さな、狭い空間なのだ。そこで坂巻さんは絵を描いている。
頭にニンジンやシロクマや猫がのっている女性たちのポートレイト画が、「この空間で生まれている」と知ると、すっと納得できた。そこはまさに、あの女性たちの絵が生まれている場所にぴったりだからだ。イーゼルが置けないから、確かに大きな絵はここでは描けないけれど。とても大きく描かれたあの女性の絵(頭に何かがのっていても、のっていなくても)も、いつか見てみたい。
坂巻さんが、猫がすうすうと寝ている部屋の片隅にあるこのアトリエで、小さなキャンバスに向かっている姿を想像する。
くせっ毛でショートヘアの坂巻さんが、くせっ毛で黒髪の女性のポートレイトを描いている。頭には、次は何がのるのだろう。あるいはもう、何ものらないかもしれない。
猫が起きて足下にやって来るまで、机に飛び乗って描くのを邪魔するまで、坂巻さんは描き続けているだろう。やがて、遅かれ早かれ猫はやって来る。
そのようにして画家・坂巻弓華さんは、日々、絵を描いているのだ。
text by Eiichi Imai
photography by Koichi Chida