Meet the Artist

2024-04-17 15:31:00

奥山泉/陶芸家、彫刻家、画家、木工作家 NEVER STOP MAKING 「作る人。」

 

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「あれもこれもやってみたい」

「子供の頃から、何か作っているのが大好きでした。ぜんぜん器用じゃない、でも、何か作っていると落ち着くというか」

 奥山泉さんのその気持ち、姿勢は、今もまったく変わらないようだ。

「いつも、何かしら作っています。いつだって手を動かしている自分がいる。材料はなんだっていいんです。なんなら場所もどこだっていい。素材は無限にあると思っています。この世のあらゆるものを試したいという気持ちがあるんです。木工だけ、陶芸だけ、というようにひとつの素材やジャンルに向かうよりも、私は、あれもこれもやりたいんですね。願わくば全部試してみたい、というか」

 

 奥山泉さんにインタビューしているとき、その「あれもこれも」という奥山さんの気持ちがあふれてくることが幾度もあった。

 奥山さんは、木彫について話しているのに、ふと気づくと陶器の話に変わっていて、ところが途中で山羊の話をしていて、それもどこかで絵の話になっている、という具合なのだ。夢中になることがたくさんあり過ぎ、あふれ出てしまうので、話の対象もどんどん変わる!

 

 山形と沖縄の二拠点で創作活動を続けている奥山さんだが、そのどちらの家、工房も、「いろんなものがあり、途中の作品もたくさんあって、いつまでも片付かない」と困ったように笑う。その家に行ったことはないが、奥山さんと話していると容易にそのカオスな様相が想像できる。

 要するに、あれもこれも、なのだ。そして奥山さんは、夢中になると他のことを忘れてしまうし、作ることが大好きだから、次々と、そしていつまでも、作り続けてしまう。

 

 奥山泉さんは、無限に、永遠に、「作る人」である。

 

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山形の菓子屋と骨董屋で

「生まれは山形県の天童市。実家はもともとお菓子屋でしたが、途中から骨董屋もやっていました。駅のデパ地下に店があって、両親は一年中働いていて、私も小さい頃からいろいろ手伝っていました。袋に詰めたり、配達したり。

 並行していつの間にか骨董屋が始まっていて、父親がどこかから仕入れてきた絵画、掛け軸、剥製、彫刻、焼き物、楽器まで、家にはどんどん謎のモノが増えて、カオス状態になっていきました」

 

「茶の間にはいつもたくさんの人がいました。煙草の煙で部屋はもくもく真っ白。私が「ただいまー」って学校から帰ると、「おかえり」ってお客のおじちゃんたちが迎えてくれることもありました。家の人はお菓子屋の仕事が忙しいので、お客さんで来たおじさんがお客さんにお茶を出したり、相手をしていましたね。

 幼い私は、父親が仕入れてくる絵や彫刻に興味を持ちました。後から思えば、父親の骨董品収集の影響を受けているのかもしれません」

 

「父も母も美術への興味はあったと思います。ただ、日々の仕事が忙しくて、趣味とか持つ時間はなかったですよね。二人とも文学が好きで、家には本もたくさんありました。夫婦で文学談義していました」

 

「戦後の大変な時代を生きていた人たちです。父はきっと「小説家になりたい」と思っていたはず。一度家族に秘密で東京へ行き、大学受験をして合格し2年ほど東京に暮らしました。家の都合で山形へ戻らなければならなくなり、やがて母と父は結婚した。

 父は、親が作った借金を返したら大学に戻るつもりでいただろう、と母は言っていました。簡単に返せる額ではなかった、とも。

 父は、ずーっと東京へ戻りたかったはず。(家を離れて)行かなければという気持ちがあったように私は思います。父には、いつも「何処かへいなくなる雰囲気」があった。何かがやりたい、という思いが心にあったんでしょうね。

 父はいつも何かを書き、歌なんかも作っていた。私には作ったものを見せてくれたんです。あるとき私が、父ちゃん、これどこかに出した方がいい、と言うと、「他人様の前に出すようなものじゃないんだ」と言われましたね」

 

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「画家になならなければいけない」

「子供の頃から何か作っているのが好きで、あるときから「画家にならなければいけない!」みたいな思いを持つようになりました。

 その頃、TVアニメで『フランダースの犬』が流行っていて、その影響か?なんて思ったりもするんですが、子供の頃のイメージだと、画家や芸術家は不安定。もっと堅実な道を歩まなければならないという気持ちがありつつ、一方で、「画家、芸術家にならなければ」という思いもすごくあった子供時代でした」

 

「でも、学校でたとえば、将来なりたいもの、というテーマがあっても、画家になりたいとは絶対に書かなかったし、「それは書いてはいけない、言ってはいけない」と考えていたというか。そう簡単に「画家になりたい」とか、おいそれと言ってはいけないと思っていたんでしょうね。「将来なりたいものは、美人」とか書いていましたね(笑)」

 

「私はラジオっ子でした。あるとき聞こえてきたのが沖縄の島唄でした。独特の音階、知らない楽器の音色(三線)など、とても神秘的に感じられて。「オキナワって、どんなところなんだろう?」って思いました。インターネットのなかった時代ですから、雪深い山形にいた私は、遠い異国を思うように、音楽に導かれるようにして、沖縄について毎日想像を巡らせていたんだと思います」

 

「心の芯の部分で画家になりたい、芸術家になりたいという思いがあったけれど、「もの作りしながら生きるならデザイナーかな」って思って、浪人しました

 美術予備校の先生にも高校の美術の先生にも、高校の美術の先生にも、私はファインアートの方が合うんじゃないか?と言われていましたが、私は、芸術家になるよりも、仕事に繋がりそうなデザイン科に入らなければ、と当初思っていたんです。

 ところがその頃、心を動かされる彫刻を見たんですね。ブロンズで、すごく感動して。なんだろうこれ?と思って」

 

「沖縄、彫刻と調べたら、沖縄県立芸術大学というのがあるとわかった。受験内容が、彫刻家はふつう粘土とかの実技があるものなんですが、その頃の沖縄芸大は素描とデッサンだけでした。これならいけるかもしれないと思って、受けたんです」

 

 

「沖縄は受験で行ったのが人生初でした。すぐ好きになりました。4年で帰るつもりが、気づいたら35年です。故郷の山形と共通点があるんですよ、懐かしい雰囲気とかね、ぜんぜん気候は違うんだけれど。でも私、どこに行っても合いそうで。自分があまりないというか(笑)。どこでも合うし、どこでも作れるし、素材は何でもいい。技能は高くないんです。ただ、私は「しつこい」。しつこくやり抜く技術は一際高いと言えるかも」

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ままならない二人

「沖縄と山形と、1年の半分ずつくらい過ごしています。シソンギャラリーの展示前は、2か月ほどずっと山形の実家にこもって、作品作りに集中しています。

 ここ(山形)にいると、すごく沖縄のことを思う。沖縄にいるときは、すごく山形を思う。意識はしませんが、土地も影響し合っているのかなーって思います」

 

「吉田さん(奥山さんの夫)は大学の同級生でした。彼は東京の人。沖縄で出会って、ずーっとつきあっていたんですが、結婚したのは最近です。ままならないふたりだったので、結婚せず、それぞれ創作活動に励み続けてきた数十年でした。

 夫婦でアーティストですが、創作に関して相手のことは特に気にならないですね。向こうが寝ている横で私が木をホリホリしていることもあります。ただ、こっちが休んでいて、向こうが(創作を)やっているのを見ると、「やばい、やらなきゃ!」って思ったりします。

 二人に共通しているのは、「これが好きだからやっている」ということ。私も彼も、これが仕事という意識がほとんどなくて、好きなことをやっているんです。私たちにとって、作っているときが一番楽しくて、嬉しいとき」

 

「集中して、時間かけてやって、「思ったものができましたか?」と問われると、うーん……と腕組みしますね。でも、「思ってないものができた!」という驚きや喜びやしょっちゅうあります」

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奥山泉の世界

 木も粘土も、ブロンズも石膏も、油も水彩も日本画も、「この世にある、あらゆる素材や材料を試したい」と奥山さんは言う。「ひとつを極めるより、あれもこれも」

 木を彫って彫って、掘り続けて、木の方から形が現れてきて「こうだ!」と気づくこともあるという。

 猫の形を彫っていたら、木の残っている部分に何かを掘りたくなって気づいたらそっちを掘っているということもある。

 そうやって、どんどん変わっていく奥山さんの創作世界。今回シソンギャラリーで展示するのは、皿など「陶芸」がメインで、「木工」も少し入るという。そんなふうに、今回の個展の話をしていたら、気づくと奥山さんは「山羊のこと」を話している。

 あれ、いつ話が変わったのか?

 

「沖縄で、近所に山羊を飼っている寡黙なおじさんがいるんです。山羊小屋があって、山羊をとっても可愛がっている。沖縄の人は山羊を食べますが、おじさんは山羊を食べない。「山羊を育てて、一緒に生きるのが喜びだ」って言う。

 私の木彫や絵に山羊がよく出てくるのは、おじさんの山羊がいるからです。おじさんの山羊小屋のある場所の風景がすごく好きなんです。それで、山羊を描く、その場所の景色を描く。……って、あれ、何の話、してましたっけ私?」

 

 集中して、作って、作って、しつこく作り続ける人、奥山泉さんの個展。奥山さんの「世界」が、垣間見られるはずだ。

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text by Eiichi Imai

photography by Koichi Chida/ Izumi Okuyama