Meet the Artist

2024-03-11 16:16:00

長谷川有里/人形造形家、ぬいぐるみ作家、アーティスト 「人形たちのいるところ。」

WHERE THE WILD PUPPETS ARE

YURI HASEGAWA

 

人形たちのいるところ。

長谷川有里/人形造形家、ぬいぐるみ作家、アーティスト

 

 

 

大塚「ボギー」

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ミュータント・タートルズ、シンプソンズ、ブルース・リー、OJ・シンプソン、ジャバ・ザ・ハット、MC・ハマー、ヒッチコック、アインシュタイン、オビ=ワン・ケノービ、ギズモ、考える人、プレイボーイ(のロゴ)、ラコステ(のロゴ)、マイケル・ジョーダン、パブロ・ピカソ、アンディ・ウォーホル、フリーダ・カーロ、チャーリー・チャップリン、毛布を手にするライナス、ラーラ(黄色のテレタビーズ)……

 

 自分が好きな長谷川有里さんの作品を挙げていくと、きりがない。他にもたくさん、「あ、いいなこれ」「ほしい!」というものが続く。

 

 ちなみに、上に並べた人物やモノはどれも、「それそのもの」ではない。

 長谷川さんが生み出す作品は、「すごくホンモノに近いけれど、ちょっと違う」「そうじゃない、でも、とってもそうだよね」という存在である。

 

 長谷川さんの作品は、ワイルドなパペット(人形)たちだ。

 スパイク・ジョーンズはきっと長谷川さんの人形を大好きになるだろう。スパイク・ジョーンズの自宅やオフィスに長谷川さんの作品がさりげなく置いてあっても、驚かない。もし彼が、『かいじゅうたちのいるところ(WHERE THE WILD THINGS ARE)』の続編を撮ろうとしたら、長谷川さんに仕事の声がかかるかもしれない。「よかったら一緒にやらない?」と。もしそうなっても、驚かない。もし、そんなことが本当に起きたら、それこそとってもワイルドなことだ。

 

 

ぬいぐるみ作家、フェルトの人形造形家、アーティスト、長谷川有里さん。1978年三重県生まれ。2002年に東京藝術大学美術学部絵画科油画専攻を卒業した。

 

 長谷川さんがインタビュー場所に選んだのは、JR山手線と都電荒川線の大塚駅から歩いてすぐの喫茶店「ボギー」。カフェではなく、喫茶店と呼びたい場所。でも店の看板には「Coffee House」と書いてある。ナポリタン、ドライカレー、カレーライス、ショウガ焼き定食なんかもあって、煙草が吸える(長谷川さんも僕も煙草は吸わないけれど)。

 長谷川有里さんと会って、彼女の作品について話を聞くのにこれほどパーフェクトな場所は、なかなかないだろうなと思う。この店を選んだのはもちろん長谷川さん自身だ。

 というわけで、大塚の「ボギー」の窓辺の席に座って、おいしいアメリカンを飲みながら、長谷川さんの話に耳を傾ける。

 

 

 

ひとりが好き、“良くないもの”が好き

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「大塚に17年、住んでいました。地蔵通り、ずっと同じところです。

 生まれ育ちは三重県で、伊勢神宮まで自転車ですぐのところ。生き物が大好きな子供でした。犬猫はもちろん、昆虫、両生類、何でも大好きな子供でした。家のまわりには田んぼや畑が広がり、川や海も近かったし、遊べるところがいっぱいあったから、いつも外で遊んでいました。父親には釣りに連れていってもらったり。

 でも、友だちと一緒に出かけたりということが好きだったわけじゃないんです。基本ひとりでいるのが好きな子供でした」

 

「実家は、アートとは無関係、ぜんぜんフツーの家。父親は映画が好きで、映画館に連れていってくれたけれど、それくらいかな。家族誰も絵なんて描かないけれど、私は絵を描くのが大好きで、いつもめっちゃ描いていました。習ったりしたことはなくて、ただ自由に、ひとりで。

 高校まで地元(三重)で過ごし、進路を決めるとき、両親は、私が絵とか好きなことを理解してくれていたから、「迷っているなら、そっち(芸術)の方面に進めば」とアドバイスしてくれたんです」

 

「浪人中に東京藝大の藝祭に行ったんです。それが、もう最高に楽しくて。そのとき、私はここ(東京藝大)しかない!と思ったんです。藝大を志したのは、「〜教授の授業を受けてみたい」とか、「〜を学びたい」とか、そういうことではなくて、学園祭(藝祭)が面白かったから。東京藝大に進学した主な理由はそれです。

 日本画には興味なかったから、油絵専攻。映像にすごく興味があったけれど、その頃にはまだ映像を教える科がなかったので。

 当時自分が描いていた絵を見返すと、めちゃくちゃ抽象画やっているんですが、今見ると何も面白くない(笑)。

 その頃の私が好きだったのは、ゲルハルト・リヒター、エドワード・ルシェ、ジャスパー・ジョーンズとか。でも、だんだん“良くないもの”から強い影響を受けるようになっていったんです」

 

「つまり、スケートとか、音楽とか。自分の興味の対象がそっち方向に行き始めてしまった。学校で絵をやるよりずっと楽しいことと出会ってしまったんです。

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私の理想は、ビューティフル・ルーザーズ。トーマス・キャンベル、マーク・ゴンザレス、ハーモニー・コリン、シェパード・フェイリー、マイク・ミルズ、彼らのように生きられたら最高だろうなって思っています。ビューティフル・ルーザーズのアーティストたちは、ずっとDIYでなんでもやっていて、それがカッコいいなって思う。

 彼らはもともとスケートボード・カルチャーから始まっていますよね。みんな“居場所のない人たち”だった。だから、外の世界、街の路上とか、公園とかに集まっていた。私もそういう子供だったから感覚的にわかります。

 ただ、彼らと私は、暮らしている場所も何もかも違う。向こうはアメリカ西海岸、カリフォルニアのストリート。私が属しているのは日本の美大。真似だけしても、説得力がない。でも、強い憧れはありました。だから、もっと後になってからだけれど、アメリカへ行って、1年ちょっとロサンゼルスに暮らしました」

 

 

STRANGE STORE、人形作りの始まり

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――なぜ、ぬいぐるみ、フェルトと手縫いの人形だったのでしょう。

 

「現代美術家の加賀美健さんがやっていたSTRANGE STOREを初めて見に行ったとき衝撃を受けたんです。自分が行きたかった方向がある!というような気づきを与えてくれた場所であり、出会いでした。

 STRANGE STOREは展示もできる空間だったので、無謀にも即効で、「私にも何かやらせてください!」と加賀美健さんに伝えました。それである日、自分の作品を持っていき、見てもらったんです。

 そのとき私がやっていたのは平面で、まだ人形は作っていません。ただ、今やっている人形に繋がるコンセプトがすでにありました。私がそのとき描いていた絵は、「小さな孫が、おじいちゃん、おばあちゃんに向かって、これ描いて、と頼んで、それでおばあちゃんが描いたシンプソンズ」という設定の作品でした。

 今、人形で私は、そういった「設定」をいつもあれこれ考えて、それで作っているんですね。そこには「物語」があるんですよ。私の場合、物語、設定というのかな、それが大事なんです。

 で、加賀美健さんに、「これの展示をさせてほしい」とお願いしたら、やらせてもらえることになったんですが、そのとき健さんは私に、「絵だけじゃなくて、人形を作ってみたら」と言ったんです。で、同じようなコンセプト(設定、物語)で人形を作ってみた。これがすべての始まり。2014年のことでした。

 フェルトと手縫いの人形の始まりはSTRANGE STOREでの展示で始まったんですね。ちょうど10年前に」

 

「それで、最初に作ったのはやはりシンプソンズ。小さなサイズで、今の半分くらいの大きさかな。STRANGE STOREで展示したら、みんなが買ってくれて嬉しかったですね」

 

――人形ですが、作業は絵の下描きから始めますか?

 

「はい、A4の紙に下描きします。それをトレースして、布を切っていく。製作過程は意外に面倒くさいんです。縫うところまで、何工程かあります。

 下描きはなるべくサクサクっと描くようにしています。時間をかけると沼にハマってしまうから。そうなると時間がかかる。1分くらいで描けちゃうものもあるし、できたと思って翌日にあらためて見ると、これは本物に似すぎていてダメだ、となったり」

 

――いろんなキャラクター、モノがあるますが、「何をモチーフにするか」というのは、どう決めているのですか?

 

「最初の頃は、シンプソンズのように、もともと自分がよく知っているキャラクター、好きだったものを作品にしていました。でも、途中から探すようになりました。いろいろ検索していって、「これ、自分の人形にしたら面白そうだな」というものと出会うとストックしておく。ただ、キャラが面白いとか、キャラが有名とか、そういう理由では選びません。

 私の作品では、「設定を作る」ことが大切なポイント。すべての人形にそれぞれの物語がある。だから、物語のためにキャラクターを選んでいますね」

 

――自分が作ってきた中で、特にお気に入りのキャラクター、好きな人形というのがありますか?

 

「それもよく聞かれるんですが、ぜんぜんないんですよ。作りやすい人形、わかりやすいキャラというのはあります。でも、自分が特に大好きというのは、ほとんどなくて。

 私は、どんな作品でも、できあがったらポイッとしちゃうタイプなんです。完成したら終わり、という感じ。買ってくれたらもうそれはその人のもの。自分の作品に愛着はあまりないですね」

 

――それでも、長谷川さん自身が「これが作りたいな」と感じるものだけ、ですよね。

 

「そうですね。私がピン!と来なければ、それは作る対象にならないし、そもそも物語が生まれてこないです」

 

――たとえば、『ツイン・ピークス』のドーナツはどうですか?

 

「いいですね(笑)。そういう小物はとってもいいです。自分が忘れているものも多いので、けっこう面白いものがあるから、いつも探しています」

 

――音楽ネタはどうですか。

 

「最初から、ビースティ(ボーイズ)はよく作っていました。あとは、エルトン・ジョン、RUN DMC、レッチリのフリーも初期の頃に作りましたね。ラモーンズ、KISS

 映画だと、『ビッグ・リボウスキ』でジョン・タトゥーロが演じたジーザス。『ビッグ・リボウスキ』は傑作、最高の映画ですね。主役のデュードも音楽もすべて最高だと思います。『ファイトクラブ』の坊主頭のブラッド・ピットも作りました。あれはブラピが坊主だったから作ったんだと思う」

 

――すべての人形が、限りなく本物に近いわけですが、そのさじ加減というか、リアルとフェイクの境界線はどのように引くのですか。

 

「それが難しいところのひとつですね。下描きの段階で、ものすごくがんばって描くと本物になってしまうので。無意識に描いてはいけないというか。

 たとえばピカソは、牛を描くとき、自分の中で正解を見つけようとしていたはず。キュビズムや、変形した牛が生まれても、ピカソは自分の中で「正解を見つけよう」としてやっていて、その過程で変形した牛の絵が生まれる、というか。

 私はそうじゃなくて、すでに正解があるものから始めている、という感じ。ピカソと比べるなんて恐れ多いですが(笑)」

 

――(作品作りで)大切にしていることはありますか。

 

「ユーモア。ユーモアがないものはダメです。笑いがないものは、私の作品には必要ない。きれい、美しいよりも、私にはユーモア、笑いが最重要。私がコーエン兄弟やスパイク・ジョーンズの映画を大好きなのは、彼らが「ユーモア第一主義」だと思うから。彼らの作品を通して、私はユーモアを教えてもらったと思います」

 

 

私はスパイク・ジョーンズでできている

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「今の私はスパイク・ジョーンズでできているようなもの」と長谷川さんは言う。「自分が作る作品も、生き方も、すべてスパイク・ジョーンズがベースになっている、という気がします」

 

 長谷川さんは学生の頃に、ビースティボーイズの「サボタージュ」のミュージックビデオを見て、「なんてカッコいいんだろう!」と思ったという。

 そのビデオを作ったのがスパイク・ジョーンズだった。

 その後、自分が好きな映像をあれこれ調べて観ていくと、好きな映像は、どれもこれもスパイク・ジョーンズと繋がっていたという。

 長谷川さんは言う、「スパイクは私にとって神のような存在なんです」

 

 長谷川さんは、アメリカ西海岸ロサンゼルスに住んでいたとき、映画学校のワークショップに参加した。それは8週間のプログラムで、モノクロ16mmフィルムで短編を撮るという課題だった。

 そのとき、長谷川さんはあらためて、「映像を撮るのは面白い」「自分は映像を撮って作品を作ってみたい」と強く思ったという。

「でも同時に、短くても良いものを作ろうとすると、けっこうお金がかかる、ということも知りました。30分くらいの短編であっても、映画を撮るとなるとめっちゃお金がかかる。そして、ある程度お金をかけないと、いいものにならない。

 誰でもスマホで撮って、自分で編集し、YouTubeで流せるけれど、私が撮って作りたいのは、そういう映像じゃない。自分は「こういうものを撮りたい、映像作品を作りたいのだ」ということを再確認できたLAでの日々でした」

 

 その頃、長谷川さんは、ハリウッド・ハイスクールの界隈でときどき映像を撮っていたという。

 ハリウッド・ハイスクールは、ロサンゼルスの一大観光地、ハリウッドにある公立高校だ。たくさんの観光客が往来し、アカデミー賞の授賞式が開催されるドルビー・シアターのある目抜き通り、ハリウッド・ブールヴァードの、すぐ裏の辺りにその高校はある。

 校舎建物の壁に巨大なペインティングがあり、その下のストリートには、よくハイスクール・キッズたちがたむろしている。

「あのハイスクールの辺りの道や公園でスケートしているキッズたちを、よく撮影していました。学校が終わる時間に行くと、スケートボード持って何人か出てくるんですよ。私が「撮ってもいい?」と聞くと、「うん、いいよ」という感じで撮らせてくれた。みんないい子たちでしたね」

 

 ガス・ヴァン・サント監督の映画には、スケートボードを小脇に抱える少年少女がいつも登場する。だいたいカギっ子で、家に帰っても誰もいなくて、学校でも友だちは少ない。不良ではない。そのキッズたちはみんな、一般的な世界の境界線からほんの少しはみ出しているのだ。

 スケートボード・パークのある公園に行くと、自分と境遇の似た少年少女たちがいる。スケートボード・パークが、キッズたちの心安らぐ庭なのだ。

 自分も境界線からはみ出していたガス・ヴァン・サントは、とてもやさしい視線でそういった少年少女たちの日常をフィルムに撮り、物語として表現してきた。

 

 スパイク・ジョーンズが撮るのも、はみ出し者たちだが、そこに出てくるのは「自ら選んではみ出した」というタイプのキッズや大人たちである。ガス・ヴァン・サントの映画のはみ出し者は内省的で静かだが、スパイク・ジョーンズのはみ出し者たちはワイルドで、活力があり、遊びの中から何かを生み出そうというエネルギーを持っている。

 長谷川有里さんが作るパペット(人形)たちにも、それと同じようなワイルドさがある。境界線の向こう側の世界からやって来たワイルドなパペットたち。

 本物に似ているけれど、ちょっと違う。長谷川さんが、そこにワイルドさを加味しているのだ。

 

 JR大塚駅の改札前に佇んでいた長谷川さんは、フツーの女性に見えた。でも、一緒に歩いて話していると、ちょっと違うなとすぐ気づいた。彼女が喫茶店「ボギー」に入っていくのを見て、それを確信した。彼女もまた「WILD THINGS」のひとりなんだと。境界線のちょっと向こうに住んでいる人なのだ。

 その小さな身体には、ふつふつと創作の微熱が常にあって、何か面白いことを探している。彼女の両手によって生み出されるパペット(人形)たちがワイルドな理由が、会って話して、よくわかった。

 もうすぐシソン・ギャラリーに、そんなワイルドな人形たちが集結する。

 

text by Eiichi Imai

photography by Koichi Chida